上、帰《かえ》り途《みち》の電車の中、下宿の火鉢の周囲《まわり》、さまざまの所でさまざまに変って見えた。自分は他《ひと》の知らない苦しみを他に言わずに苦しんだ。その間思い切って番町へ出かけて行って、大体の様子を探るのがともかくも順序だとはしばしば胸に浮かんだ。けれども卑怯《ひきょう》な自分はそれをあえてする勇気をもたなかった。眼の前に怖《こわ》い物のあるのを知りながら、わざと見ないために瞼《まぶた》を閉じていた。
すると五日目の土曜の午後に突然父から事務所の電話口まで呼び出された。
「御前は二郎かい」
「そうです」
「明日《あす》の朝ちょっと行くが好いかい」
「へえ」
「差支《さしつか》えがあるかい」
「いえ別に……」
「じゃ待っててくれ、好《い》いだろうね。さようなら」
父はそれで電話を切ってしまった。自分は少からず狼狽《ろうばい》した。何の用事であるかをさえ確める余裕をもたなかった自分は、電話口を離れてから後悔した。もし用事があるなら呼びつけられそうなものだのにとすぐ変に思っても見た。父が向うから来るという違例な事が、この間の嫂の訪問に何か関係があるような気がして、自分の胸は一
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