たのは、すでに精神病に罹《かか》ってからの事だもの。僕に早く帰って来てくれと頼み始めてからだもの」
 彼はこう云って、依然としてその女の美しい大《おおき》な眸《ひとみ》を眼の前に描くように見えた。もしその女が今でも生きていたならどんな困難を冒《おか》しても、愚劣な親達の手から、もしくは軽薄な夫の手から、永久に彼女を奪い取って、己《おの》れの懐《ふところ》で暖めて見せるという強い決心が、同時に彼の固く結んだ口の辺《あたり》に現れた。
 自分の想像は、この時その美しい眼の女よりも、かえって自分の忘れようとしていた兄の上に逆戻りをした。そうしてその女の精神に祟《たた》った恐ろしい狂いが耳に響けば響くほど、兄の頭が気にかかって来た。兄は和歌山行の汽車の中で、その女はたしかに三沢を思っているに違ないと断言した。精神病で心の憚《はばかり》が解けたからだとその理由までも説明した。兄はことによると、嫂《あによめ》をそういう精神病に罹《かか》らして見たい、本音を吐かせて見たい、と思ってるかも知れない。そう思っている兄の方が、傍《はた》から見ると、もうそろそろ神経衰弱の結果、多少精神に狂いを生じかけて、自
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