ように簡単な端書《はがき》を書いたぎり何の音沙汰《おとさた》もない三沢が悪《にく》らしくなった。もし明日中《あしたじゅう》に何とか音信《たより》がなければ、一人で高野登りをやろうと決心した。
「じゃ明日は佐野を誘って宝塚《たからづか》へでも行きましょう」と岡田が云い出した。自分は岡田が自分のために時間の差繰《さしくり》をしてくれるのが苦《く》になった。もっと皮肉を云えば、そんな温泉場へ行って、飲んだり食ったりするのが、お兼さんにすまないような気がした。お兼さんはちょっと見ると、派出好《はでずき》の女らしいが、それはむしろ色白な顔立や様子がそう思わせるので、性質からいうと普通の東京ものよりずっと地味《じみ》であった。外へ出る夫の懐中にすら、ある程度の束縛を加えるくらい締っているんじゃないかと思われた。
「御酒《ごしゅ》を召上らない方《かた》は一生のお得ですね」
自分の杯《さかずき》に親しまないのを知ったお兼さんは、ある時こういう述懐《じゅっかい》を、さも羨《うらや》ましそうに洩《も》らした事さえある。それでも岡田が顔を赤くして、「二郎さん久しぶりに相撲《すもう》でも取りましょうか」と野
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