くなった。そうして腹の中で余計な事を云って、もう取り返しがつかないと思った。
 女はしばらく間をおいて、ただ「結構でございます」と一口云って後は淋《さび》しく笑った。しかしその笑い方が、父には泣かれるよりも怒られるよりも変な感じを与えたと云った。
 父は○○の宿所を明らさまに告げて、「ちと暇な時に遊びがてら御嬢さんでも連れて行って御覧なさい。ちょっと好い家《うち》ですよ。○○も夜ならたいてい御目にかかれると云っていましたから」と云った。すると女はたちまち眉《まゆ》を曇らして、「そんな立派な御屋敷へ我々|風情《ふぜい》がとても御出入《おでいり》はできませんが」と云ったまましばらく考えていたが、たちまち抑え切れないように真剣な声を出して、「御出入は致しません。先様《さきさま》で来いとおっしゃってもこっちで御遠慮しなければなりません。しかしただ一つ一生の御願に伺っておきたい事がございます。こうして御目にかかれるのももう二度とない御縁だろうと思いますから、どうぞそれだけ聞かして頂いた上心持よく御別れが致したいと存じます」と云った。

        十八

 父は年の割に度胸の悪い男なので、女
前へ 次へ
全520ページ中288ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング