て来た。洋服を投出すが早いか勝手へ行って水浴をして「さあ行こう」と云い出した。
 お兼さんはいつの間にか箪笥《たんす》の抽出《ひきだし》を開けて、岡田の着物を取り出した。自分は岡田が何を着るか、さほど気にも留めなかったが、お兼さんの着せ具合や、帯の取ってやり具合には、知らず知らず注意を払っていたものと見えて、「二郎さんあなた仕度《したく》は好いんですか」と聞かれた時、はっと気がついて立ち上った。
「今日はお前も行くんだよ」と岡田はお兼さんに云った。「だって……」とお兼さんは絽《ろ》の羽織を両手で持ちながら、夫の顔を見上げた。自分は梯子段《はしごだん》の中途で、「奥さんいらっしゃい」と云った。
 洋服を着て下へ降りて見ると、お兼さんはいつの間にかもう着物も帯も取り換えていた。
「早いですね」
「ええ早変り」
「あんまり変り栄《ばえ》もしない服装《なり》だね」と岡田が云った。
「これでたくさんよあんな所《とこ》へ行くのに」とお兼さんが答えた。
 三人は暑《あつさ》を冒《おか》して岡を下《くだ》った。そうして停車場からすぐ電車に乗った。自分は向側に並んで腰をかけた岡田とお兼さんを時々見た。そ
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