「奥さん、子供が欲しかありませんか。こうやって、一人で留守《るす》をしていると退屈するでしょう」
「そうでもございませんわ。私《わたくし》兄弟の多い家《うち》に生れて大変苦労して育ったせいか、子供ほど親を意地見《いじめ》るものはないと思っておりますから」
「だって一人や二人はいいでしょう。岡田君は子供がないと淋《さみ》しくっていけないって云ってましたよ」
 お兼さんは何にも答えずに窓の外の方を眺《なが》めていた。顔を元へ戻しても、自分を見ずに、畳の上にある平野水の罎を見ていた。自分は何にも気がつかなかった。それでまた「奥さんはなぜ子供ができないんでしょう」と聞いた。するとお兼さんは急に赤い顔をした。自分はただ心やすだてで云ったことが、はなはだ面白くない結果を引き起したのを後悔した。けれどもどうする訳《わけ》にも行かなかった。その時はただお兼さんに気の毒をしたという心だけで、お兼さんの赤くなった意味を知ろうなどとは夢にも思わなかった。
 自分はこの居苦《いぐる》しくまた立苦《たちぐる》しくなったように見える若い細君を、どうともして救わなければならなかった。それには是非共話頭を転ずる必
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