ぬす》むように一二度見たからである。
「兄さん、面白い話がありますがね」と自分は兄の方を見た。
「何だ」と兄が云った。兄の調子は自分の予期した通り無愛想《ぶあいそう》であった。しかしそれは覚悟の前であった。
「ついこの間三沢から聞いたばかりの話ですがね。……」
 自分は例の精神病の娘さんがいったん嫁《とつ》いだあと不縁になって、三沢の宅《うち》へ引き取られた時、三沢の出る後《あと》を慕《した》って、早く帰って来てちょうだいと、いつでも云い習わした話をしようと思ってちょっとそこで句を切った。すると兄は急に気乗りのしたような顔をして、「その話ならおれも聞いて知っている。三沢がその女の死んだとき、冷たい額へ接吻《せっぷん》したという話だろう」と云った。
 自分は喫驚《びっくり》した。
「そんな事があるんですか。三沢は接吻の事については一口も云いませんでしたがね。皆《みん》ないる前でですか、三沢が接吻したって云うのは」
「それは知らない。皆《みんな》の前でやったのか。またはほかに人のいない時にやったのか」
「だって三沢がたった一人でその娘さんの死骸《しがい》の傍《そば》にいるはずがないと思いま
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