躍《おど》り叫んでいる事を知っていました。
三十九
「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途にはこの三つのものしかない」
兄さんははたしてこう云い出しました。その時兄さんの顔は、むしろ絶望の谷に赴《おもむ》く人のように見えました。
「しかし宗教にはどうも這入《はい》れそうもない。死ぬのも未練に食いとめられそうだ。なればまあ気違だな。しかし未来の僕はさておいて、現在の僕は君|正気《しょうき》なんだろうかな。もうすでにどうかなっているんじゃないかしら。僕は怖《こわ》くてたまらない」
兄さんは立って縁側《えんがわ》へ出ました。そこから見える海を手摺《てすり》に倚《よ》ってしばらく眺めていました。それから室《へや》の前を二三度行ったり来たりした後《あと》、また元の所へ帰って来ました。
「椅子ぐらい失って心の平和を乱されるマラルメは幸いなものだ。僕はもうたいていなものを失っている。わずかに自己の所有として残っているこの肉体さえ、(この手や足さえ、)遠慮なく僕を裏切るくらいだから」
兄さんのこの言葉は、好い加減な形容ではないのです。昔から内省の力に勝っていた兄さんは、あまり考えた結果として、今はこの力の威圧に苦しみ出しているのです。兄さんは自分の心がどんな状態にあろうとも、一応それを振り返って吟味した上でないと、けっして前へ進めなくなっています。だから兄さんの命の流れは、刹那《せつな》刹那にぽつぽつと中断されるのです。食事中一分ごとに電話口へ呼び出されるのと同じ事で、苦しいに違《ちがい》ありません。しかし中断するのも兄さんの心なら、中断されるのも兄さんの心ですから、兄さんはつまるところ二つの心に支配されていて、その二つの心が嫁《よめ》と姑《しゅうと》のように朝から晩まで責めたり、責められたりしているために、寸時の安心も得られないのです。
私は兄さんの話を聞いて、始めて何も考えていない人の顔が一番|気高《けだか》いと云った兄さんの心を理解する事ができました。兄さんがこの判断に到着したのは、全く考えた御蔭《おかげ》です。しかし考えた御蔭でこの境界《きょうがい》には這入れないのです。兄さんは幸福になりたいと思って、ただ幸福の研究ばかりしたのです。ところがいくら研究を積んでも、幸福は依然として対岸にあったのです。
私はとうとう兄さんの前に
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