、これでよく兄さんと碁《ご》を打ったものです。その後《ご》二人とも申し合せたように、ぴたりとやめてしまいましたが、この場合、二人が持て余している時間を、面白く過ごすには碁盤が屈強の道具に違なかったのです。
兄さんはしばらく碁盤を眺めていました。そうしておいて「まあ止そう」と云いました。私は思い込んだ勢いで、「そう云わずにやろうじゃないか」と押し返しました。それでも兄さんは「いやいやまあ止そう」と云います。兄さんの顔を見ると、眼と眉《まゆ》の間に変な表情がありました。それが何の碁なんぞと云った風の軽蔑《けいべつ》または無頓着《むとんじゃく》を示していないのですから、私はちょっと異《い》な心持がしました。しかし無理に強《し》いるのも厭《いや》ですから、私はとうとう一人で碁石を取り上げて、黒と白を打手違《うつてちがい》に、盤の上に並べ始めました。兄さんは少しの間それを見ていました。私がなお黙って打ち続けて行きますと、兄さんは不意に座を立って廊下へ出ました。おおかた便所へでも行ったのだろうと思った私は、いっこう兄さんの挙動には注意を払いませんでした。
三十一
案の通り兄さんは時を移さず戻って来ました。そうして突然《いきなり》「やろう」というや否や、自分の手から、碁石を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《も》ぎ取るように引《ひ》っ手繰《たく》りました。私は何の気もつかずに、「よろしい」と答えて、すぐ打ち始めました。我々のは申すまでもなくヘボ碁ですから、石を下《くだ》すのも早いし、勝負の片づくのも雑作《ぞうさ》はありません。一時間のうちに悠《ゆう》に二番ぐらいは始末ができるくらいだから、見ていても局に対《むか》っていても、間怠《まだる》い思いはけっしてないのです。ところを兄さんは、その手早く運んで行く碁面を、しまいまで辛抱して眺めているのは苦痛だと云って、とうとう中途でやめてしまいました。私は心持でも悪くなったのかと思って心配しましたが、兄さんはただ微笑していました。
床に入る前になって、私は始めて兄さんからその時の心理状態の説明を聞きました。兄さんは碁を打つのは固《もと》より、何をするのも厭《いや》だったのだそうです。同時に、何かしなくってはいられなかったのだそうです。この矛盾がすでに兄さんには苦痛なのでした。兄さんは碁を打ち出せば、きっ
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