き落した。お重は厭《いや》な顔をした。
「それペン皿よ。灰皿じゃないわよ」
自分は嫂《あによめ》ほどに頭のできていないお重から、何も得るところのないのを覚《さと》って、また父や母のいる座敷へ帰ろうとした時、突然妙な話を彼女から聞いた。
その話によると、兄はこの頃テレパシーか何かを真面目《まじめ》に研究しているらしかった。彼はお重を書斎の外に立たしておいて、自分で自分の腕を抓《つね》った後《あと》「お重、今兄さんはここを抓ったが、お前の腕もそこが痛かったろう」と尋ねたり、または室《へや》の中で茶碗の茶を自分一人で飲んでおきながら、「お重お前の咽喉《のど》は今何か飲む時のようにぐびぐび鳴りやしないか」と聞いたりしたそうである。
「妾《あたし》説明を聞くまでは、きっと気が変になったんだと思って吃驚《びっく》りしたわ。兄さんは後で仏蘭西《フランス》の何とかいう人のやった実験だって教えてくれたのよ。そうしてお前は感受性が鈍いから罹《かか》らないんだって云うのよ。妾《あたし》嬉《うれ》しかったわ」
「なぜ」
「だってそんなものに罹るのはコレラに罹るより厭だわ妾」
「そんなに厭かい」
「きまってるじゃありませんか。だけど、気味が悪いわね、いくら学問だってそんな事をしちゃ」
自分もおかしいうちに何だか気味の悪い心持がした。座敷へ帰って来ると、嫂の姿はもうそこに見えなかった。父と母は差し向いになって小さな声で何か話し合っていた。その様子が今しがた自分一人で家中を陽気にした賑《にぎ》やかな人の様子とも見えなかった。「ああ育てるつもりじゃなかったんだがね」という声が聞えた。
「あれじゃ困りますよ」という声も聞えた。
十二
自分はその席で父と母から兄に関する近況の一般を聞いた。彼らの挙《あ》げた事実は、お重を通して得た自分の知識に裏書をする以外、別に新しい何物をも付け加えなかったけれども、その様子といい言葉といい、いかにも兄の存在を苦《く》にしているらしく見えて、はなはだ痛々しかった。彼ら(ことに母)は兄一人のために宅中《うちじゅう》の空気が湿《しめ》っぽくなるのを辛《つら》いと云った。尋常の父母以上にわが子を愛して来たという自信が、彼らの不平を一層濃く染めつけた。彼らはわが子からこれほど不愉快にされる因縁《いんねん》がないと暗に主張しているらしく思われた。した
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