。頭《かしら》ですらこれだから、平《ひら》の坑夫は無論そう野卑《ぞんざい》じゃあるまいと思い込んでいた。だから、この悪口《あくたい》が藪《やぶ》から棒《ぼう》に飛んで来た時には、こいつはと退避《ひる》む前に、まずおやっと毒気を抜かれた。ここでいっその事|毒突返《どくづきかえ》したなら、袋叩《ふくろだた》きに逢《あ》うか、または平等の交際が出来るか、どっちか早く片がついたかも知れないが、自分は何にも口答えをしなかった。もともと東京生れだから、この際何とか受けるくらいは心得ていたんだろう。それにもかかわらず、兄《あにい》に類似した言語は無論、尋常の竹箆返《しっぺいがえ》しさえ控えたのは、――相手にならないと先方《さき》を軽蔑《けいべつ》したためだろうか――あるいは怖《こわ》くって何とも云う度胸がなかったんだろうか。自分は前の方だと云いたい。しかし事実はどうも後《あと》の方らしい。とにかくも両方|交《まじ》ってたと云うのが一番|穏《おだやか》のように思われる。世の中には軽蔑しながらも怖《こわ》いものが沢山《いくら》もある。矛盾にゃならない。
それはどっちにしたって構わないが、自分がこの悪口《あくたい》を聞いたなり、おとなしく聞き流す料簡《りょうけん》と見て取った坑夫共は、面白そうにどっと笑った。こっちがおとなしければおとなしいほど、この笑は高く響いたに違ない。銅山《やま》を出れば、世間が相手にしてくれない返報に、たまたま普通の人間が銅山の中へ迷い込んで来たのを、これ幸《さいわ》いと嘲弄《ちょうろう》するのである。自分から云えば、この坑夫共が社会に対する恨《うら》みを、吾身《わがみ》一人で引き受けた訳になる。銅山へ這入《はい》るまでは、自分こそ社会に立てない身体《からだ》だと思い詰めていた。そこで飯場《はんば》へ上《あが》って見ると、自分のような人間は仲間にしてやらないと云わんばかりの取扱いである。自分は普通の社会と坑夫の社会の間に立って、立派に板挟《いたばさ》みとなった。だからこの十四五人の笑い声が、ほてるほど自分の顔の正面に起った時は、悲しいと云うよりは、恥ずかしいと云うよりは、手持無沙汰《てもちぶさた》と云うよりは、情《なさけ》ないほど不人情な奴が揃《そろ》ってると思った。無教育は始めから知れている。教育がなければ予期出来ないほどの無理な注文はしないつもりだが、なんぼ坑夫だって、親の胎内から持って生れたままの、人間らしいところはあるだろうくらいに心得ていたんだから、この寸法に合わない笑声を聞くや否や、畜生奴《ちくしょうめ》と思った。俗語に云う怒《おこ》った時の畜生奴じゃない。人間と受取れない意味の畜生奴である。今では経験の結果、人間と畜生の距離がだいぶん詰ってるから、このくらいの事をと、鈍い神経の方で相手にしないかも知れないが、何しろ十九年しか、使っていない新しい柔かい頭へこのわる笑がじんと来たんだから、切《せつ》なかった。自分ながら思い出すたびに、まことに痛わしいような、いじらしいような、その時の神経系統をそのまま真綿に包《くる》んで大事にしまって置いてやりたいような気がする。
この悪意に充《み》ちた笑がようやく下火になると、
「御前《おめえ》はどこだ」
と云う質問が出た。この質問を掛けたものは、自分から一番近い所に坐っていたから、声の出所《でどころ》は判然《はっきり》分った。浅黄色《あさぎいろ》の手拭染《てぬぐいじ》みた三尺帯を腰骨の上へ引き廻して、後向《うしろむ》きの胡坐《あぐら》のまま、斜《はす》に顔だけこっちへ見せている。その片眼は生れつきの赤んべんで、おまけに結膜《けつまく》が一面に充血している。
「僕は東京です」
と答えたら、赤んべんが、肉のない頬を凹《へこ》まして、愚弄《ぐろう》の笑いを洩《も》らしながら、三軒置いて隣りの坑夫をちょいと顎《あご》でしゃくった。するとこの相図を受けた、願人坊主《がんにんぼうず》が、入れ替ってこんな事を云った、
「僕だなんて――書生《しょせ》ッ坊《ぼ》だな。大方《おおかた》女郎買でもしてしくじったんだろう。太え奴だ。全体《ぜんてえ》この頃の書生ッ坊の風儀が悪くっていけねえ。そんな奴に辛抱が出来るもんか、早く帰《けえ》れ。そんな瘠《やせ》っこけた腕でできる稼業《かぎょう》じゃねえ」
自分はだまっていた。あんまり黙っていたので張合《はりあい》が抜けたせいか、わいわい冷かすのが少し静まった。その時一人の坑夫――これは尋常な顔である。世間へ出しても普通に通用するくらいに眼鼻立が調《ととの》っていた。自分は、冷かされながら、眼を上げて、黒い塊《かたまり》を見るたびに、人数《にんず》やら、着物やら、獰猛《どうもう》の度合やらをだんだん腹に畳み込んでいたが、最初は総体の顔が総体に骨と眼でできた上に獣慾の脂《あぶら》が浮いているところばかり眼に着いて、どれも、これも差別がないように思われた。それが三度四度と重なるにつけて、四人五人と人相の区別ができるに連れて、この坑夫だけが一際《ひときわ》目立って見えるようになった。年はまだ三十にはなるまい。体格は倔強《くっきょう》である。眉毛《まみえ》と鼻の根と落ち合う所が、一段奥へ引っ込んで、始終《しじゅう》鼻眼鏡で圧《お》しつけてるように見える。そこに疳癪《かんしゃく》が拘泥《こうでい》していそうだが、これがために獰猛の度はかえって減ずると云っても好いような特徴であった。――この坑夫が始めてこの時口を利《き》いた。――
「なぜこんな所へ来た。来たって仕方がないぜ。儲《もう》かる所じゃない。ここにいる奴あ、みんな食詰《くいつめ》ものばかりだ。早く帰るが好かろう。帰って新聞配達でもするがいい。おれも元はこれで学校へも通《かよ》ったもんだが、放蕩《ほうとう》の結果とうとう、シキ[#「シキ」に傍点]の飯を食うようになっちまった。おれのようになったが最後もう駄目だ。帰ろうたって、帰れなくなる。だから今のうちに東京へ帰って新聞配達をしろ。書生はとても一月《ひとつき》と辛抱は出来ないよ。悪い事は云わねえから帰れ。分ったろう」
これは比較的|真面目《まじめ》な忠告であった。この忠告の最中は、さすがの獰悪派《どうあくは》もおとなしく交《まぜ》っ返しもせずに聞いていた。その惰性で忠告が済んだあとも、一時は静であった。もっともこれはこの坑夫に多少の勢力があるんで、その勢力に対しての遠慮かも知れないと勘づいた。その時自分は何となく心の底で愉快だった。この坑夫だって、ほかの坑夫だって、人相にこそ少しの変化はあれ、やっぱり一つ穴でこつこつ鉱塊《あらがね》を欠いている分の事だろう。そう芸に巧拙《こうせつ》のあるはずはない。して見ると、この男の勢力は全く字が読めて、物が解って、分別があって――一口に云うと教育を受けたせいに違ない。自分は今こんなに馬鹿にされている。ほとんど最下等の労働者にさえ歯《よわい》されない人非人《にんぴにん》として、多勢《たぜい》の侮辱を受けている。しかし一度この社会に首を突込《つっこ》んで、獰猛組《どうもうぐみ》の一人となりすましたら、一月二月と暮して行くうちには、この男くらいの勢力を得る事はできるかも知れない。できるだろう。できるにきまってるとまで感じた。だから、いくら誰が何と云っても帰るまい、きっとこの社会で一人前以上になって成功して見せる。――随分思い切ってつまらない考えを起したもんだが、今から見ても、多少論理には叶《かな》っているようだ。そこでこの坑夫の忠告には謹《つつし》んで耳を傾《かたぶ》けていたが、別段先方の注文通りに、では帰りましょうと云う返事もしなかった。そのうちいったん静まりかけた愚弄《ぐろう》の舌《した》がまた動き出した。
「いる気なら置いてやるが、ここにゃ、それぞれ掟《おきて》があるから呑《の》み込んで置かなくっちゃ迷惑だぜ」
と一人が云うから、
「どんな掟ですか」
と聞くと、
「馬鹿だなあ。親分もあり兄弟分《きょうでえぶん》もあるじゃねえか」
と、大変な大きな声を出した。
「親分たどんなもんですか」
と質問して見た。実はあまりがみがみ云うから、黙っていようかしらんとも思ったけれども、万一掟を破って、あとで苛《ひど》い目に逢《あ》うのが怖《こわ》いから、まあ聞いて見た。すると他《ほか》の坑夫が、すぐ、返事をした。
「しようのねえ奴だな。親分を知らねえのか。親分も兄弟分も知らねえで、坑夫になろうなんて料簡違《りょうけんちげ》えだ。早く帰《けえ》れ」
「親分も兄弟分もいるから、だから、儲《もう》けようたって、そう旨《うま》かあ行かねえ。帰れ」
「儲かるもんか帰《けえ》るが好い」
「帰れ」
「帰れ」
しきりに帰れと云う。しかも実際自分のためを思って帰れと云うんじゃない。仲間入をさせてやらないから出て行けと云うんである。さぞ儲《もう》けたいだろうが、そうは問屋で卸《おろ》さない、こちとらだけで儲ける仕事なんだから、諦《あきら》めて早く帰れと云うんである。したがってどこへ帰れとも云わない。川の底でも、穴の中でも構わない勝手な所へ帰れと云うんである。自分は黙っていた。
この形勢がこのままで続いたら、どんな事にたち至ったか思いやられる。敵はこの囲炉裏《いろり》の周囲《まわり》ばかりにゃいない。さっきちょっと話した通り、向うの方にも大きな輪になって、黒く塊《かたま》っている。こっちの団体だけですら持ち扱っているところへ、あっちの群勢《ぐんぜい》が加勢したら大事《だいじ》である。自分は愚弄《ぐろう》されながらも、時々横目を使って、未来の敵――こうなると、どれもこれも人間でさえあれば、敵と認定してしまう。――遠方にはおるが、そろそろ押し寄せて来そうな未来の敵を、見ていた。かように自分の心が、左右前後と離《はな》れ離れになって、しかも独立ができないものだから、物の後《あと》を追掛《おっか》け、追ん廻わしているほど辛《つら》い事はない。なんでも敵に逢《あ》ったら敵を呑《の》むに限る。呑む事ができなければ呑まれてしまうが好い。もし両方共困難ならぷつりと縁を截《き》って、独立自尊の態度で敵を見ているがいい。敵と融合する事もできず、敵の勢力範囲外に心を持ってく事も出来ず、しかも敵の尻を嗅《か》がなければならないとなると、はなはだしき損となる。したがってもっとも下等である。自分はこう云う場合にたびたび遭遇して、いろいろな活路を研究して見たが、研究したほどに、心が云う事を聞かない。だからここに申す三策は、みんな釈迦《しゃか》の空説法《からぜっぽう》である。もし講釈をしないでも知れ切ってる陳説《ちんせつ》なら、なおさら言うだけが野暮《やぼ》になる。どうも正式の学問をしないと、こう云う所へ来て、取捨の区別がつかなくって困る。
自分が四方八方に気を配って、自分の存在を最高度に縮小して恐れ入っていると、
「御膳《ごぜん》を御上がんなさい」
と云う婆さんの声が聞えた。いつの間《ま》に婆さんが上がって来たんだか、自分の魂が鳩の卵のように小さくなって、萎縮《いしゅく》した真最中だったから、御膳の声が耳に入るまではまるで気がつかなかった。見ると剥《は》げた御膳《おぜん》の上に縁《ふち》の欠けた茶碗が伏せてある。小《ち》さい飯櫃《めしびつ》も乗っている。箸《はし》は赤と黄に塗り分けてあるが、黄色い方の漆《うるし》が半分ほど落ちて木地《きじ》が全く出ている。御菜には糸蒟蒻《いとごんにゃく》が一皿ついていた。自分は伏目になってこの御膳の光景を見渡した時、大いに食いたくなった。実は今朝《けさ》から水一滴も口へ入れていない。胃は全く空《から》である。もし空でなければ、昨日《きのう》食った揚饅頭《あげまんじゅう》と薩摩芋《さつまいも》があるばかりである。飯の気《け》を離れる事約二昼夜になるんだから、いかに魂が萎縮しているこの際でも、御櫃《おはち》の影を見るや否や食慾は猛然として咽喉元《のどもと》まで詰め寄せて来た。そこで、冷かしも、交《ま》ぜっ返しも気に掛ける暇《いとま》な
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