一二丁先で、ぐるりと廻り込んで、先が見えないから、不意に姿を出したり、隠したりするような仕掛《しかけ》にできてるのかも知れないが、何しろ時が時、場所が場所だから、ちょっと驚いた。自分は四本目の芋《いも》を口へ宛《あて》がったなり、顎《あご》を動かす事を忘れて、この小僧をしばらくの間眺めていた。もっともしばらくと云ったって、わずか二十秒くらいなものである。芋はそれからすぐに食い始めたに違いない。
小僧の方では、自分らを見て、驚いたか驚かないか、その辺はしかと確められないが、何しろ遠慮なく近づいて来た。五六間のこっちから見ると頭の丸い、顔の丸い、鼻の丸い、いずれも丸く出来上った小僧である。品質から云うと赤毛布《あかげっと》よりもずっと上製である。自分らが三人並んで橋向うの小路《こみち》を塞《ふさ》いでいるのを、とんと苦にならない様子で通り抜けようとする。すこぶる平気な態度であった。すると長蔵さんが、また、
「おい、小僧さん」
と呼び留めた。小僧は臆《おく》した気色《けしき》もなく
「なんだ」
と答えた。ぴたりと踏み留《とどま》った。その度胸には自分も少々驚いた。さすがこの日暮に山から一人で降りて来るがものはある。自分などがこの小僧の年輩の頃は夜青山の墓地を抜けるのがいささか苦になったものだ。なかなかえらいと感心していると、長蔵さんは、
「芋《いも》を食わないかね」
と云いながら、食い残しを、気前よく、二本、小僧の鼻の前《さき》に出した。すると小僧はたちまち二本とも引ったくるように受け取って、ありがとうとも何とも云わず、すぐその一本を食い始めた。この手っ取り早い行動を熟視した自分は、なるほど山から一人で下りてくるだけあって自分とは少々訳が違うなと、また感心しちまった。それとも知らぬ小僧は無我無心に芋を食っている。しかも頬張《ほおば》った奴《やつ》を、唾液《つばき》も交《ま》ぜずに、むやみに呑《の》み下《くだ》すので、咽喉《のど》が、ぐいぐいと鳴るように思われた。もう少し落ちついて食う方が楽だろうと心配するにもかかわらず、当人は、傍《はた》で見るほど苦しくはないと云わんばかりにぐいぐい食う。芋だから無論堅いもんじゃない。いくら鵜呑《うのみ》にしたって咽喉に傷のできっこはあるまいが、その代り咽喉がいっぱいに塞《ふさ》がって、芋が食道を通り越すまでは呼息《いき》の詰る恐れがある。それを小僧はいっこう苦にしない。今咽喉がぐいと動いたかと思うと、またぐいと動く。後《あと》の芋が、前《さき》の芋を追っ懸《か》けてぐいぐい胃の腑《ふ》に落ち込んで行くようだ。二本の芋は、随分大きな奴だったが、これがためたちまち見る間《ま》に無くなってしまった。そうして、小僧はついに何らの異状もなかった。自分ら三人は何にも云わずに、三方から、この小僧の芋を食うところを見ていたが、三人共、食ってしまうまで、一句も言葉を交《か》わさなかった。自分は腹の中《うち》で少しはおかしいと思った。しかし何となく憐れだった。これは単に同情の念ばかりではない。自分が空腹になって、長蔵さんに芋をねだったのは、つい、今しがたで、餓《ひも》じい記憶は気の毒なほど近くにあるのに、この小僧の食い方は、自分より二三層倍|餓《ひも》じそうに見えたからである。そこへ持って来て、長蔵さんが、
「旨《う》まかったか」
と聞いた。自分は芋へ手を出さない先からありがとうと礼を述べたくらいだから、食ったあとの小僧は無論何とか云うだろうと思っていたら、小僧はあやにく何とも云わない。黙って立っている。そうして暮れかかる山の方を見た。後から分ったがこの小僧は全く野生で、まるで礼を云う事を知らないんだった。それが分ってからはさほどにも思わなかったが、この時は何だ顔に似合わない無愛嬌《ぶあいきょう》な奴だなと思った。しかしその丸い顔を半分|傾《かたぶ》けて、高い山の黒ずんで行く天辺《てっぺん》を妙に眺《なが》めた時は、また可愛想《かわいそう》になった。それからまた少し物騒になった。なぜ物騒になったんだかはちょっと疑問である。小さい小僧と、高い山と、夕暮と山の宿《しゅく》とが、何か深い因縁《いんねん》で互に持ち合ってるのかも知れない。詩だの文章だのと云うものは、あんまり読んだ事がないが、おそらくこんな因縁に勿体《もったい》をつけて書くもんじゃないかしら。そうすると妙な所で詩を拾ったり、文章にぶつかったりするもんだ。自分はこの永年《ながねん》方々を流浪《るろう》してあるいて、折々こんな因縁に出っ食わして我ながら変に感じた事が時々ある。――しかしそれも落ちついて考えると、大概解けるに違ない。この小僧なんかやっぱり子供の時に聞いた、山から小僧が飛んで来たが化《ば》け損《そく》なったところくらいだろう。それ以上は余計な事だから
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