理に引き摺り起して、否《いや》と云うのを抑えつけるばかりにしてまで見せてやる葬式である。まことに無邪気の極《きょく》で、また冷刻の極である。
「金しゅう、どうだ、見えたか、面白いだろう」
と云ってる。病人は、
「うん、見えたから、床《とこ》ん所まで連れてって、寝かしてくれよ。後生《ごしょう》だから」
と頼んでいる。さっきの二人は再び病人を中へ挟んで、
「よっしょいよっしょい」
と云いながら、刻《きざ》み足に、布団《ふとん》の敷いてある所まで連れて行った。
 この時曇った空が、粉になって落ちて来たかと思われるような雨が降り出した。ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]はこの雨の中を敲《たた》き立てて町の方へ下《くだ》って行く。大勢は
「また雨だ」
と云いながら、窓を立て切って、各々《めいめい》囲炉裏《いろり》の傍《はた》へ帰る。この混雑紛《どさくさまぎれ》に自分もいつの間《ま》にか獰猛《どうもう》の仲間入りをして、火の近所まで寄る事が出来た。これは偶然の結果でもあり、また故意の所作《しょさ》でもあった。と云うものは火の気がなくってははなはだ寒い。袷《あわせ》一枚ではとても凌《しの》ぎ兼ねるほどの山の中だ。それに雨さえ降り出した。雨と云えば雨、霧と云えば霧と云われるくらいな微《かす》かな粒であるが、四方の禿山《はげやま》を罩《こ》め尽した上に、筒抜《つつぬ》けの空を塗り潰《つぶ》して、しとどと落ちて来るんだから、家《うち》の中に坐っていてさえ、糠《ぬか》よりも小さい湿《しめ》り気《け》が、毛穴から腹の底へ沁《し》み込むような心持である。火の気がなくってはとうていやり切れるものじゃない。
 自分が好い加減な所へ席を占めて、いささかながら囲炉裏のほとぼりを顔に受けていると、今度は存外にも度外視されて、思ったよりも調戯《からか》われずに済んだ。これはこっちから進んで獰猛の仲間入りをしたため、向うでも普通の獰猛として取扱うべき奴だと勘弁してくれたのか、それとも先刻《さっき》のジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]で不意に気が変った成行《なりゆき》として、自分の事をしばらく忘れてくれたのか、または冷笑《ひやかし》の種が尽きたか、あるいは毒突《どくづ》くのに飽きたんだか、――何しろ自分が席を改めてから、自分の気は比較的楽になった。そうして囲炉裏の傍の話はやっぱりジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]で持ち切っていた。いろいろな声がこんな事を云う。――
「あのジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]はどこから出たんだろう」
「どこから出たって御《お》ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]だ」
「ことによると黒市組《くろいちぐみ》かも知れねえ。見当《けんとう》がそうだ」
「全体《ぜんてえ》ジャンボー[#「ジャンボー」に傍点]になったらどこへ行くもんだろう」
「御寺よ。きまってらあ」
「馬鹿にするねえ。御寺の先を聞いてるんだあな」
「そうよ、そりゃ寺限《てらぎり》で留《とま》りっこねえ訳だ。どっかへ行くに違《ちげ》えねえ」
「だからよ。その行く先はどんな所《とこ》だろうてえんだ。やっぱしこんな所《ところ》かしら」
「そりゃ、人間の魂の行く所だもの、大抵は似た所に違えねえ」
「己《おれ》もそう思ってる。行くとなりゃ、どうもほかへ行く訳がねえからな」
「いくら地獄だって極楽《ごくらく》だって、やっぱり飯は食うんだろう」
「女もいるだろうか」
「女のいねえ国が世界にあるもんか」
 ざっと、こんな談話だから、聞いているとめちゃめちゃである。それで始めのうちは冗談《じょうだん》だと思った。笑っても差支《さしつかえ》ないものと心得て、口の端《はた》をむずつかせながら、ちょっと様子を見渡したくらいであった。ところが笑いたいのは自分だけで、囲炉裏を取り捲《ま》いている顔はいずれも、彫りつけたように堅くなっている。彼らは真剣の真面目で未来と云う大問題を論じていたんである。実に嘘《うそ》としか受け取れないほどの熱心が、各々の眉《まゆ》の間に見えた。自分はこの時、この有様を一瞥《いちべつ》して、さっきの笑いたかった念慮をたちまちのうちに一変した。こんな向う見ずの無鉄砲な人間が――カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《さ》げて、シキ[#「シキ」に傍点]の中へ下りれば、もう二度と日の目を見ない料簡《りょうけん》でいる人間が――人間の器械で、器械の獣《けだもの》とも云うべきこの獰猛組《どうもうぐみ》が、かほどに未来の事を気にしていようとは、まことに予想外であった。して見ると、世間には、未来の保証をしてくれる宗教というものが入用《いりよう》のはずだ。実際自分が眼を上げて、囲炉裏《いろり》のぐるりに胡坐《あぐら》をかいて並んだ連中を見渡した時には、遠慮に畏縮《いしゅく》が手伝って、七分方《し
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