ぼう》さえ荷《かつ》いだのがある。そうかと思うと光沢《つや》のある前掛を締めて、中折帽を妙に凹《へこ》ました江戸ッ子流の商人《あきゅうど》もある。その他の何やらかやらでベンチの四方が足音と人声でざわついて来た時に、切符口の戸がかたりと開《あ》いた。待ち兼ねた連中は急いで立ち上がって、みんな鉄網《かなあみ》の前へ集ってくる。この時長蔵さんの態度は落ちつき払ったものであった。例の太刀《たち》のごとくそっくりかえった「朝日」を厚い唇《くちびる》の間に啣《くわ》えながら、あの角張《かどば》った顔を三《さん》が二《に》ほど自分の方へ向けて、
「御前さん、汽車賃を持っていなさるかい」
と聞いた。また自分の未熟なところを発表するようだが、実を云うと汽車賃の事は今が今まで自分の考えには毫《ごう》も上《のぼ》らなかったのである。汽車に乗るんだなと思いながら、いくら金を払うものか、また金を払う必要があるものか、とんと思い至らなかったのは愚《ぐ》の至《いたり》である。愚はどこまでも承認するがこの質問に出逢《であ》うまでは無賃《ただ》で乗れるかのごとき心持で平気でいたのは事実である。よく分らないけれども、何でも自分の腹の底には、長蔵さんにさえ食っついてさえおれば、どうかしてくれるんだろうと云う依頼心が妙に潜《ひそ》んでいたんだろう。ただし自分じゃけっしてそう思っていなかった。今でもそうだとは自分の事ながら申しにくい。けれども、こう云う安心がないとすれば、いくら馬鹿だって、十九だって、停車場《ステーション》へ来て汽車賃の汽[#「汽」に傍点]の字も考えずにいられるもんじゃない。その癖こんなに依頼している長蔵さんに対して、もう御世話にならなくっても、好うございますの、これから一人で行きますのと平《ひら》に同行を断ったのは、どう云う了簡《りょうけん》だろう。自分はこう云う場合にたびたび出逢《であ》ってから、しまいには自分で一つの理論を立てた。――病気に潜伏期があるごとく、吾々《われわれ》の思想や、感情にも潜伏期がある。この潜伏期の間には自分でその思想を有《も》ちながら、その感情に制せられながら、ちっとも自覚しない。またこの思想や感情が外界の因縁《いんねん》で意識の表面へ出て来る機会がないと、生涯《しょうがい》その思想や感情の支配を受けながら、自分はけっしてそんな影響を蒙《こうぶ》った覚《おぼえ》が
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