」
と答えた。そうしたら今度は
「乗らなくってもいいかい」
と反対の事を尋ねた。自分は
「乗らなくってもいいです」
と答えた。長蔵さんは三度目に
「どうするね」
と云ったから、
「どうでもいいです」
と答えた。その内に馬車は遠くへ行ってしまった。
「じゃ、歩く事にしよう」
と長蔵さんは歩き出した。自分も歩き出した。向うを見ると、今通った馬車の埃《ほこり》が日光にまぶれて、往来が濁ったように黄色く見える。そのうちに人通りがだんだん多くなる。町並がしだいに立派になる。しまいには牛込の神楽坂《かぐらざか》くらいな繁昌《はんじょう》する所へ出た。ここいらの店付《みせつき》や人の様子や、衣服は全く東京と同じ事であった。長蔵さんのようなのはほとんど見当らない。自分は長蔵さんに、
「ここは何と云う所です」
と聞いたら、長蔵さんは、
「ここ? ここを知らないのかい」
と驚いた様子であったが、笑いもせずすぐ教えてくれた。それで所の名は分ったがここにはわざと云わない。自分がこの繁華な町の名を知らなかったのをよほど不思議に感じたと見えて、長蔵さんは、
「お前さん、いったい生れはどこだい」
と聞き出した。考えると、今まで長蔵さんが自分の過去や経歴について、ついぞ一《ひ》と口《くち》も自分に聞いた事がなかったのは、人を周旋する男の所為《しょい》としては、少しく無頓着《むとんじゃく》過ぎるようにも思われたが、この男は全くそんな事に冷淡な性《たち》であった事が後《あと》で分った。この時の質問は全く自分の無知に驚いた結果から出た好奇心に過ぎなかった。その証拠には自分が、
「東京です」
と答えたら、
「そうかい」
と云ったなり、あとは何にも聞かずに、自分を引っ張るようにして、ある横町を曲った。
実を云うと自分は相当の地位を有《も》ったものの子である。込み入った事情があって、耐《こら》え切れずに生家《うち》を飛び出したようなものの、あながち親に対する不平や面当《つらあて》ばかりの無分別《むふんべつ》じゃない。何となく世間が厭《いや》になった結果として、わが生家まで面白くなくなったと思ったら、もう親の顔も親類の顔も我慢にも見ていられなくなっていた。これは大変だと気がついて、根気に心を取り直そうとしたが、遅かった。踏み答えて見ようと百方に焦慮《あせ》れば焦慮るほど厭になる。揚句《あげく》の果《はて》は踏
前へ
次へ
全167ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング