んは饅頭笠《まんじゅうがさ》とカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を渡した。饅頭笠と云うのか筍笠《たけのこがさ》というのか知らないが、何でも懲役人の被《かぶ》るような笠であった。その笠を神妙《しんびょう》に被る。それからカンテラ[#「カンテラ」に傍点]を提《さ》げる。このカンテラ[#「カンテラ」に傍点]は提げるようにできている。恰好《かっこう》は二合入りの石油缶《せきゆかん》とも云うべきもので、そこへ油を注《さ》す口と、心《しん》を出す孔《あな》が開《あ》いてる上に、細長い管《くだ》が食っついて、その管の先がちょっと横へ曲がると、すぐ膨《ふく》らんだカップ[#「カップ」に傍点]になる。このカップ[#「カップ」に傍点]へ親指を突っ込んで、その親指の力で提げるんだから、指五本の代りに一本で事を済ますはなはだ実用的のものである。
「こう、穿《は》めるんだ」
と初さんが、勝栗《かちぐり》のような親指を、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]の孔の中へ突込《つっこ》んだ。旨《うま》い具合にはまる。
「そうら」
 初さんは指一本で、カンテラ[#「カンテラ」に傍点]を柱時計の振子のように、二三度振って見せた。なかなか落ちない。そこで自分も、同じように、調子をとって揺《うごか》して見たがやっぱり落ちなかった。
「そうだ。なかなか器用だ。じゃ行くぜ、いいか」
「ええ、好《よ》ござんす」
 自分は初さんに連れられて表へ出た。所が降っている。一番先へ笠《かさ》へあたった。仰向《あおむ》いて、空模様を見ようとしたら、顎《あご》と、口と、鼻へぽつぽつとあたった。それからあとは、肩へもあたる。足へもあたる。少し歩くうちには、身体中じめじめして、肌へ抜けた湿気が、皮膚の活気で蒸《む》し返される。しかし雨の方が寒いんで、身体のほとぼりがだんだん冷《さ》めて行くような心持であったが、坂へかかると初さんがむやみに急ぎ出したんで、濡《ぬ》れながらも、毛穴から、雨を弾《はじ》き出す勢いで、とうとうシキ[#「シキ」に傍点]の入口まで来た。
 入口はまず汽車の隧道《トンネル》の大きいものと云って宜《よろ》しい。蒲鉾形《かまぼこなり》の天辺《てっぺん》は二間くらいの高さはあるだろう。中から軌道が出て来るところも汽車の隧道《トンネル》に似ている。これは電車が通う路なんだそうだ。自分は入口の前に立って、奥の方を透《す》かして
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