ぞくするほど寒いのに、腋《わき》の下から汗が出る。
「金しゅうも早く癒《なお》って、嚊《かかあ》を受け出したら好かろう」
「また、市《いち》と入れ代りか。世話あねえ」
「それよりか、うんと稼《かせ》いで、もっと価《ね》に踏める抵当でも取った方が、気が利《き》いてらあ」
「違《ちげえ》ねえ」
と一人が云い出すのを相図に、みんなどっと笑った。自分はこの笑の中に包まれながら、どうしても笑い切れずに下を向いてしまった。見ると膝《ひざ》を並べて畏《かしこ》まっていた。馬鹿らしいと気がついて、胡坐《あぐら》に組み直して見た。しかし腹の中はけっして胡坐をかくほど悠長《ゆうちょう》ではなかった。
その内だんだん日暮に近くなって来る。時間が移るばかりじゃない、天気の具合と、山が囲んでるせいで早く暗くなる。黙って聞いていると、雨垂《あまだれ》の音もしないようだから、ことによると、雨はもう歇《や》んだのかも知れない。しかしこの暗さでは、やっぱり降ってると云う方が当るだろう。窓は固《もとよ》り締め切ってある。戸外《そと》の模様は分りようがない。しかし暗くって湿《しめ》ッぽい空気が障子《しょうじ》の紙を透《こ》して、一面に囲炉裏《いろり》の周囲《まわり》を襲《おそ》って来た。並んでいる十四五人の顔がしだいしだいに漠然《ぼんやり》する。同時に囲炉裏の真中《まんなか》に山のようにくべた炭の色が、ほてり返って、少しずつ赤く浮き出すように思われた。まるで、自分は坑《あな》の底へ滅入込《めいりこ》んで行く、火はこれに反して坑からだんだん競《せ》り上がって来る、――ざっと、そんな気分がした。時にぱっと部屋中が明るくなった。見ると電気灯が点《つ》いた。
「飯でも食うべえ」
と一人が云うと、みんな忘れものを思い出したように、
「飯を食って、また交替か」
「今日は少し寒いぞ」
「雨はまだ降ってるのか」
「どうだか、表へ出て仰向《あおむ》いて見な」
などと、口々に罵《ののし》りながら、立って、階下段《はしごだん》を下りて行った。自分は広い部屋にたった一人残された。自分のほかにいるものは病人の金《きん》さんばかりである。この金さんがやっぱり微《かすか》な声を出して唸《うな》ってるようだ。自分は囲炉裏の前に手を翳《かざ》して胡坐を組みながら、横を向いて、金さんの方を見た。頭は出ていない。足も引っ込ましている。金さ
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