う意味になる。矛盾だらけのしまいは、性格があってもなくっても同じ事に帰着する。嘘《うそ》だと思うなら、試験して見るがいい。他人《ひと》を試験するなんて罪な事をしないで、まず吾身《わがみ》で吾身を試験して見るがいい。坑夫にまで零落《おちぶ》れないでも分る事だ。神さまなんかに聞いて見たって、以上|分《わかり》ッこない。この理窟《りくつ》がわかる神さまは自分の腹のなかにいるばかりだ。などと、学問もない癖に、学者めいた事を云っては済まない。こんな景気のいいタンカ[#「タンカ」に傍点]を切る所存は毛頭なかったんだが、実を云うとこう云う仔細《しさい》である。自分はよく人から、君は矛盾の多い男で困る困ると苦情を持ち込まれた事がある。苦情を持ち込まれるたんびに苦《にが》い顔をして謝罪《あやま》っていた。自分ながら、どうも困ったもんだ、これじゃ普通の人間として通用しかねる、何とかして改良しなくっちゃ信用を落して路頭に迷うような仕儀になると、ひそかに心配していたが、いろいろの境遇に身を置いて、前に述べた通りの試験をして見ると、改良も何も入ったものじゃない。これが自分の本色なんで、人間らしいところはほかにありゃしない。それから人も試験して見た。ところがやっぱり自分と同じようにできている。苦情を持ち込んでくるものが、みんな苦情を持ち込まれてしかるべき人間なんだからおかしくなる。要するに御腹《おなか》が減って飯が食いたくなって、御腹が張ると眠くなって、窮《きゅう》して濫《らん》して、達して道を行《おこな》って、惚《ほ》れていっしょになって、愛想《あいそ》が尽きて夫婦別れをするまでの事だから、ことごとく臨機応変の沙汰《さた》である。人間の特色はこれよりほかにありゃしない。と、こう感服しているんだから、ちょっと言って見たまでである。しかし世の中には学者だの坊主だの教育家だのと云うむずかしい仲間がだいぶいて、それぞれ専門に研究している事だから、自分だけ、訳の分ったように弁じ立てては善くない。
そこで元気のいい今の気焔《きえん》をやめて、再びもとの神妙《しんびょう》な態度に復して、山の中の話をする。長蔵さんが敷居の上に立って、往来を向きながら、ここへ泊って行こうと云い出した時、こんな破屋《あばらや》でも泊る事が出来るんだったと、始めて意識したよりも、すべての家と云うものが元来《がんらい》泊るために
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