けおち》をしずに、可愛らしい坊ちゃんとしておとなしく成人したなら、――自分の心の始終《しじゅう》動いているのも知らずに、動かないもんだ、変らないもんだ、変っちゃ大変だ、罪悪だなどとくよくよ思って、年を取ったら――ただ学問をして、月給をもらって、平和な家庭と、尋常な友達に満足して、内省の工夫を必要と感ずるに至らなかったら、また内省ができるほどの心機転換の活作用に見参《げんざん》しなかったならば――あらゆる苦痛と、あらゆる窮迫と、あらゆる流転《るてん》と、あらゆる漂泊《ひょうはく》と、困憊《こんぱい》と、懊悩《おうのう》と、得喪《とくそう》と、利害とより得たこの経験と、最後にこの経験をもっとも公明に解剖して、解剖したる一々を、一々に批判し去る能力がなかったなら――ありがたい事に自分はこの至大なる賚《たまもの》を有《も》っている、――すべてこれらがなかったならば、自分はこんな思い切った事を云やしない。いくら思い切った事を云ったって自慢にゃならない。ただこの通りだからこの通りだと云うまでである。その代り昔し神妙《しんびょう》なものが、今横着になるくらいだから、今の横着がいつ何時《なんどき》また神妙にならんとは限らない。――抜けそうな足を棒のように立てて聞くと、がんと鳴ってる耳の中へ、遠くからさあさあ水音が這入《はい》ってくる。自分はますます神妙になった。
 この状態でだいぶ来た。何里だか見当《けんとう》のつかないほど来た。夜道だから平生《へいぜい》よりは、ただでさえ長く思われる上へ持ってきて、凸凹《でこぼこ》の登りを膨《ふくら》っ脛《ぱぎ》が腫《は》れて、膝頭《ひざがしら》の骨と骨が擦《す》れ合って、股《もも》が地面《じびた》へ落ちそうに歩くんだから、長いの、長くないのって――それでも、生きてる証拠には、どうか、こうか、長蔵さんの尻を五六間と離れずに、やって来た。これはただ神妙に自己を没却した諦《あきらめ》の体《てい》たらくから生じた結果ではない。五六間以上|後《おく》れると、長蔵さんが、振り返って五六歩ずつは待合してくれるから、仕方なしに追いつくと、追いつかない先に向うはまた歩き出すんで、やむを得ずだらだら、ちびちびに自己を奮興《ふんこう》させた成行《なりゆき》に過ぎない。それにしても長蔵さんは、よく後《うしろ》が見えたもんだ。ことに夜中《やちゅう》である。右も左も黒い木
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