作物の批評
夏目漱石
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)按排《あんばい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)父兄|朋友《ほうゆう》といえども
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)過去[#「過去」に白丸傍点]の文学を材料として
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中学には中学の課目があり、高等学校には高等学校の課目があって、これを修了せねば卒業の資格はないとしてある。その課目の数やその按排《あんばい》の順は皆文部省が制定するのだから各担任の教師は委託をうけたる学問をその時間の範囲内において出来得る限りの力を尽すべきが至当と云わねばならぬ。
しかるに各課担任の教師はその学問の専門家であるがため、専門以外の部門に無識にして無頓着《むとんじゃく》なるがため、自己研究の題目と他人教授の課業との権衡《けんこう》を見るの明なきがため、往々《おうおう》わが範囲以外に飛び超《こ》えて、わが学問の有効を、他の領域内に侵入してまでも主張しようとする事がある。たとえば英語の教師が英語に熱心なるのあまり学生を鞭撻《べんたつ》して、地理数学の研修に利用すべき当然の時間を割《さ》いてまでも難句集を暗誦《あんしょう》させるようなものである。ただにそれのみではない、わが専攻する課目のほか、わが担任する授業のほかには天下又一の力を用いるに足るものなきを吹聴《ふいちょう》し来《きた》るのである。吹聴し来るだけならまだいい。はてはあらゆる他の課目を罵倒《ばとう》し去るのである。
かかる行動に出《い》ずる人の中で、相当の論拠《ろんきょ》があって公然文部省所定の課目に服せぬものはここに引き合に出す限りではない。それほどの見識のある人ならば結構である。四角に仕切った芝居小屋の枡《ます》みたような時間割のなかに立て籠《こも》って、土竜《もぐら》のごとく働いている教師より遥《はる》かに結構である。しかし英語だけの本城に生涯《しょうがい》の尻を落ちつけるのみならず、櫓《やぐら》から首を出して天下の形勢を視察するほどの能力さえなきものが、いたずらに自尊の念と固陋《ころう》の見《けん》を綯《よ》り合せたるごとき没分暁《ぼつぶんぎょう》の鞭《むち》を振って学生を精根のつづく限りたたいたなら、見じめなのは学生である。熱心は敬服すべきである。精神は嘉《よみ》すべきである。その
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