に行屎走尿《こうしそうにょう》の用は足して居るが、用を足して居るか、居らぬか気が付かぬ位に逆上《のぼ》せて仕舞う。先達《せんだっ》て友人が来てこんな話をした。小田原で暴風雨があった時、村の漁船が二三杯沖へ出て居て、どうしても濤《なみ》を凌《しの》いで磯《いそ》へ帰る事が出来ない。村中一人残らず渚《なぎさ》へ出て焚火《たきび》をして浮きつ沈みつする船を眺《なが》めて居る許《ばか》りである。此方《こちら》から繩を持って波を切って、向うの船へ投げ込んで、其繩を引いて陸へ上げるのが彼等の目的である。がそう思う様に目的は達せられんので晩からかけて翌日の午後の三時頃迄は村中浜へ総出の儘《まま》風の中、雨の中を立ち尽して居た。所が其長時間のうち誰一人として口を利《き》いたものがない又誰一人として握り飯一つ食ったものがないとの事である。こうなると行屎走尿《こうしそうにょう》すら便じなくなる。余裕のない極端になる。大いに触れてくる。同時に眼前焦眉《がんぜんしょうび》の事件以外何にも眼に這入《はい》らなくなる。世界が一本筋になる。平面になる。寝返りも出来ない様に窮屈になる。なっても構わないがそれ許《ばか》
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