車屋の黒に似た所がある。主人は默つて日の出を輪に吹いて吾輩にはそんな勇氣はないと云はん許りの顏をして居る。美學者はそれだから畫をかいても駄目だといふ眼付で「然し冗談は冗談だが畫といふものは實際六づか敷ものだよレオナルド、ダ、井゛ンチ[#「井゛」は「井」に濁点の一字]は門下生に寺院の壁のし―みを寫せと教へた事があるさうだ。なる程雪隱抔に這入つて雨の漏る壁を餘念なく眺めて居ると、中々うまい模樣畫が自然に出來て居るぜ。君注意して寫生して見給へ屹度面白いものが出來るから」「又欺すのだらう」「いへ是丈は慥かだよ。實際奇警な語ぢやないかヰ゛ンチ[#「ヰ゛」は「ヰ」に濁点の一字]でもいひさうな事だあね」「成程奇警には相違ないな」と主人は半分降參をした。然し彼はまだ雪隱で寫生はせぬ樣だ。
車屋の黒は其後跛になつた。彼の光澤ある毛は漸々色が褪めて拔けて來る。吾輩が琥珀よりも美いと評した彼の眼には眼脂が一杯たまつて居る。殊に著るしく吾輩の注意を惹いたのは彼の元氣の消沈と其體格の惡くなつた事である。吾輩が例の茶園で彼に逢つた最後の日、どうだと云つて尋ねたら「い―た―ちの最後屁と肴屋の天秤棒には懲々だ」とい
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