になると見える。要心しないと今に胃弱になるかも知れない。
 教師といへば吾輩の主人も近頃に至つては到底水彩畫に於て望のない事を悟つたものと見えて十二月一日の日記にこんな事をかきつけた。[#「。」は底本にはない]
[#引用文、本文より2字下げ]
○○と云ふ人に今日の會で始めて出逢つた。あの人は大分放蕩をした人だと云ふが成程通人らしい風采をして居る。かう云ふ質の人は女に好かれるものだから○○が放蕩をしたと云ふよりも放蕩をする可く餘儀なくせられたと云ふのが適當であらう。あの人の妻君は藝者ださうだ、羨[#「羨」の さんずい は、底本では にすい]しい事である。元來放蕩家を惡くいふ人の大部分は放蕩をする資格のないものが多い。又放蕩家を以つて自任する連中のうちにも、放蕩する資格のないものが多い。是等は餘儀なくされないのに無理に進んでやるのである。恰も我輩の水彩畫に於るが如きもので到底卒業する氣づかひはない。然るにも關せず、自分丈は通人だと思つて濟して居る。料理屋の酒を飮んだり待合へ這入るから通人となり得るといふ論が立つなら、我輩も一廉の水彩畫家になり得る理窟だ。我輩の水彩畫の如きはかゝない方がまし
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