の黒よ」昂然たるものだ。車屋の黒は此近邊で知らぬ者なき亂暴猫である。然し車屋丈に強い許りでちつとも教育がないからあまり誰も交際しない。同盟敬遠主義の的になつて居る奴だ。吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々輕侮の念も生じたのである。吾輩は先づ彼がどの位無學であるかを試して見樣と思つて左の問答をして見た。
「一體車屋と教師とはどつちがえらいだらう。」
「車屋の方が強いた極つて居らあな。御―め―へのう―ちの主人を見ねえ、丸で骨と皮ばかりだぜ。」
「君も車屋の猫丈に大分強さうだ。車屋に居ると御馳走が食へると見えるね。」
「何にお―れなんざ、どこの國へ行つたつて食ひ物に不自由はしねえ積りだ。御―め―へなんかも茶畠ばかりぐるぐる廻つて居ねえで、ちつと己の後(あと)へくつ付いて來て見ねえ。一と月たゝねえうちに見違へる樣に太れるぜ。」
「追つてさう願ふ事に仕樣。然し家は教師の方が車屋より大きいのに住んで居る樣に思はれる。」
「箆棒め、うちなんかいくら大きくたつて腹の足しになるもんか。」
 彼は大に肝癪に障つた樣子で、寒竹をそいだ樣な耳を頻りとぴく付かせてあらゝかに立ち去
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