杉垣の上から出たる梧桐の枝を輕く誘つてばら/\と二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた。大王はくわつと其眞丸の眼を開いた。今でも記憶して居る。其眼は人間の珍重する琥珀といふものよりも遙かに美しく輝いて居た。彼は身動きもしない。双眸の奧から射る如き光を吾輩の矮小なる額の上にあつめて。御―め―へは一體何だと云つた。大王にしては少々言葉が卑しいと思つたが何しろ其聲の底に犬をも挫しくべき力が籠つて居るので吾輩は少なからず恐れを抱いた。然し拶挨をしないと險呑だと思つたから「吾輩は猫である。名前はまだない」と可成平氣を裝つて冷然と答へた。然し此時余の心臟は慥かに平時よりも烈しく鼓動して居つた。彼は大に輕蔑せる調子で「何、猫だ?猫が聞いてあきれらあ。全てえ何こに住んでるんだ」隨分傍若無人である。「吾輩はこゝの教師の家に居るのだ」「どうせそんな事だらうと思つた。いやに瘠てるぢやねえか」と大王丈に氣焔を吹きかける。言葉付から察するとどうも良家の猫とも思はれない。然し其膏切つて肥滿して居る所を見ると御馳走を食つてるらしい、豐かに暮して居るらしい。吾輩は「さう云ふ君は一體誰だい」と聞かざるを得なかつた。「己れあ車屋
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