る。元來我々同族間では目刺の頭でも鰡の臍でも一番先に見付たものが之を食ふ權利があるものとなつて居る。もし相手が此規約を守らなければ腕力に訴へて善い位のものだ。然るに彼等人間は毫も此觀念がないと見えて我等が見付た御馳走は必ず彼等の爲に掠奪せらるゝのである。彼等は其強力を頼んで正當に吾人が食ひ得べきものを奪つて澄して居る。白君は軍人の家に居り、三毛君は代言の主人を持つて居る。吾輩は教師の家に住んで居る丈、こんな事に關すると兩君よりも寧ろ樂天である。唯其日/\が何うにか斯うにか送られゝばよい。いくら人間だつて、さういつ迄も榮へる事もあるまい。まあ氣を永く猫の時節を待つがよからう。
我儘で思ひ出したから一寸吾輩の家の主人が此我儘で失敗した話をし樣。元來此主人は何といつて人に勝れて出來る事もないが、何にでもよく手を出したがる。俳句をやつてほとゝぎす[#「ほとゝぎす」に傍点]へ投書をしたり、新體詩を明星[#「明星」に傍点]へ出したり、間違ひだらけの英文をかいたり、時によると弓に凝つたり、謠を習つたり、又あるときはワ゛イオリン[#「ワ゛」は「ワ」に濁点の一字]抔をブー/\鳴らしたりするが、氣の毒な事には、どれもこれも物になつて居らん。其癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。後架の中で謠をうたつて、近所で後架先生と渾名をつけられて居るにも關せず一向平氣なもので、矢張是は平の宗盛にて候を繰返して居る。皆んながそら宗盛だと吹き出す位である。此主人がどういふ考になつたものか吾輩の住み込んでから一月許り後のある月の月給日に、大きな包みを提げてあはたゞしく歸つて來た。何を買つて來たのかと思ふと水彩繪具と毛筆とワットマンといふ紙で今日から謠や俳句をやめて繪をかく决心と見えた。果して翌日から當分の間といふものは毎日々々書齋で晝寐もしないで繪許りかいて居る。然し其かき上げたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定がつかない。當人もあまり甘くないと思つたものか、ある日其友人で美學とかをやつて居る人が來た時に下の樣な話をして居るのを聞いた。
「どうも甘くかけないものだね。人のを見ると何でもない樣だが自ら筆をとつて見ると今更の樣に六づかしく感ずる」是は主人の述懷である。成程詐りのない處だ。彼の友は金縁の眼鏡越に主人の顏を見ながら、「さう初めから上手にはかけないさ、第一室内の想像許りで畫がかける譯のものではない。昔し以太利の大家アンドレア、デルサルトが言つた事がある。畫をかくなら何でも自然其物を寫せ。天に星辰あり。地に露華あり。飛ぶに禽あり。走るに獸あり。池に金魚あり。枯木に寒鴉[#底本は、「鴉」の「牙」の上に「一」がついている]あり。自然は是一幅の大活畫なりと。どうだ君も畫らしい畫をかゝうと思ふならちと寫生をしたら」
「へえアンドレア、デル、サルトがそんな事をいつた事があるかい。ちつとも知らなかつた。成程こりや尤もだ。實に其通りだ」と主人は無暗に感心して居る。金縁の裏には嘲ける樣な笑が見えた。
其翌日吾輩は例の如く椽側に出て心持善く晝寐をして居たら、主人が例になく書齋から出て來て吾輩の後ろで何かしきりにやつて居る。不圖眼が覺めて何をして居るかと一分許り細目に眼をあけて見ると、彼は餘念もなくアンドレア、デル、サルトを極め込んで居る。余は此有樣を見て覺えず失笑するのを禁じ得なかつた。彼は彼の友に揶揄せられたる結果として先づ手初めに吾輩を寫生しつゝあるのである。我輩は既に十分寢た。欠伸がしたくて堪らない。然し切角主人が熱心に筆を執つて居るのを動いては氣の毒だと思ふて、ぢつと辛棒して居つた。彼は今我輩の輪廓をかき上げて顏のあたりを色彩つて居る。我輩は自白する。我輩は猫として决して上乘の出來ではない。脊といひ毛並といひ顏の造作といひ敢て他の猫に勝るとは决して思つて居らん。然しいくら不器量の我輩でも、今我輩の主人に描き出されつゝある樣な妙な姿とは、どうしても思はれない。第一色が違ふ。我輩は波斯産の猫の如く黄を含める淡灰色に漆の如き斑入りの皮膚を有して居る。是丈は誰が見ても疑ふべからざる事實と思ふ。然るに今主人の彩色を見ると、黄でもなければ黒でもない、灰色でもなければ褐色でもない、去ればとて是等を交ぜた色でもない。只一種の色であるといふより外に評し方のない色である。其上不思議な事は眼がない。尤も是は寢て居る所を寫生したのだから無理もないが眼らしい所さへ見えないから盲猫(めくら)[#「盲」の「目」は、底本では「月」]だか寢て居る猫だか判然しないのである。吾輩は心中ひそかにいくらアンドレア、デル、サルトでも是では仕樣がないと思つた。然し其熱心には感服せざるを得ない。可成なら動かずに居つてやり度と思つたが、先っき[#「っ」は底本のまま]から小便が催ふして居る。身内の筋肉はむづ/\す
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