霊を背中《せなか》へ担《かつ》いで、おれの鼻はどこにあるか教えてくれ、教えてくれと騒ぎ立てている。それなら万物の霊を辞職するかと思うと、どう致して死んでも放しそうにしない。このくらい公然と矛盾をして平気でいられれば愛嬌《あいきょう》になる。愛嬌になる代りには馬鹿をもって甘《あまん》じなくてはならん。
吾輩がこの際武右衛門君と、主人と、細君及雪江嬢を面白がるのは、単に外部の事件が鉢合《はちあわ》せをして、その鉢合せが波動を乙《おつ》なところに伝えるからではない。実はその鉢合の反響が人間の心に個々別々の音色《ねいろ》を起すからである。第一主人はこの事件に対してむしろ冷淡である。武右衛門君のおやじさんがいかにやかましくって、おっかさんがいかに君を継子《ままこ》あつかいにしようとも、あんまり驚ろかない。驚ろくはずがない。武右衛門君が退校になるのは、自分が免職になるのとは大《おおい》に趣《おもむき》が違う。千人近くの生徒がみんな退校になったら、教師も衣食の途《みち》に窮するかも知れないが、古井武右衛門君|一人《いちにん》の運命がどう変化しようと、主人の朝夕《ちょうせき》にはほとんど関係がない。関係の薄いところには同情も自《おのず》から薄い訳である。見ず知らずの人のために眉《まゆ》をひそめたり、鼻をかんだり、嘆息をするのは、決して自然の傾向ではない。人間がそんなに情深《なさけぶか》い、思いやりのある動物であるとははなはだ受け取りにくい。ただ世の中に生れて来た賦税《ふぜい》として、時々交際のために涙を流して見たり、気の毒な顔を作って見せたりするばかりである。云わばごまかし性《せい》表情で、実を云うと大分《だいぶ》骨が折れる芸術である。このごまかしをうまくやるものを芸術的良心の強い人と云って、これは世間から大変珍重される。だから人から珍重される人間ほど怪しいものはない。試して見ればすぐ分る。この点において主人はむしろ拙《せつ》な部類に属すると云ってよろしい。拙だから珍重されない。珍重されないから、内部の冷淡を存外隠すところもなく発表している。彼が武右衛門君に対して「そうさな」を繰り返しているのでも這裏《しゃり》の消息はよく分る。諸君は冷淡だからと云って、けっして主人のような善人を嫌ってはいけない。冷淡は人間の本来の性質であって、その性質をかくそうと力《つと》めないのは正直な人である。もし諸君がかかる際に冷淡以上を望んだら、それこそ人間を買い被《かぶ》ったと云わなければならない。正直ですら払底《ふってい》な世にそれ以上を予期するのは、馬琴《ばきん》の小説から志乃《しの》や小文吾《こぶんご》が抜けだして、向う三軒両隣へ八犬伝《はっけんでん》が引き越した時でなくては、あてにならない無理な注文である。主人はまずこのくらいにして、氓ノは茶の間で笑ってる女連《おんなれん》に取りかかるが、これは主人の冷淡を一歩|向《むこう》へ跨《また》いで、滑稽《こっけい》の領分に躍《おど》り込んで嬉しがっている。この女連には武右衛門君が頭痛に病んでいる艶書事件が、仏陀《ぶっだ》の福音《ふくいん》のごとくありがたく思われる。理由はないただありがたい。強いて解剖すれば武右衛門君が困るのがありがたいのである。諸君女に向って聞いて御覧、「あなたは人が困るのを面白がって笑いますか」と。聞かれた人はこの問を呈出した者を馬鹿と云うだろう、馬鹿と云わなければ、わざとこんな問をかけて淑女の品性を侮辱したと云うだろう。侮辱したと思うのは事実かも知れないが、人の困るのを笑うのも事実である。であるとすれば、これから私《わたし》の品性を侮辱するような事を自分でしてお目にかけますから、何とか云っちゃいやよと断わるのと一般である。僕は泥棒をする。しかしけっして不道徳と云ってはならん。もし不道徳だなどと云えば僕の顔へ泥を塗ったものである。僕を侮辱したものである。と主張するようなものだ。女はなかなか利口だ、考えに筋道が立っている。いやしくも人間に生れる以上は踏んだり、蹴《け》たり、どやされたりして、しかも人が振りむきもせぬ時、平気でいる覚悟が必用であるのみならず、唾を吐きかけられ、糞をたれかけられた上に、大きな声で笑われるのを快よく思わなくてはならない。それでなくてはかように利口な女と名のつくものと交際は出来ない。武右衛門先生もちょっとしたはずみから、とんだ間違をして大《おおい》に恐れ入ってはいるようなものの、かように恐れ入ってるものを蔭で笑うのは失敬だとくらいは思うかも知れないが、それは年が行かない稚気《ちき》というもので、人が失礼をした時に怒《おこ》るのを気が小さいと先方では名づけるそうだから、そう云われるのがいやならおとなしくするがよろしい。最後に武右衛門君の心行きをちょっと紹介する。君は心配の権化《ごんげ》である。かの偉大なる頭脳はナポレオンのそれが功名心をもって充満せるがごとく、まさに心配をもってはちきれんとしている。時々その団子っ鼻がぴくぴく動くのは心配が顔面神経に伝《つたわ》って、反射作用のごとく無意識に活動するのである。彼は大きな鉄砲丸《てっぽうだま》を飲み下《くだ》したごとく、腹の中にいかんともすべからざる塊《かた》まりを抱《いだ》いて、この両三日《りょうさんち》処置に窮している。その切なさの余り、別に分別の出所《でどころ》もないから監督と名のつく先生のところへ出向いたら、どうか助けてくれるだろうと思って、いやな人の家《うち》へ大きな頭を下げにまかり越したのである。彼は平生学校で主人にからかったり、同級生を煽動《せんどう》して、主人を困らしたりした事はまるで忘れている。いかにからかおうとも困らせようとも監督と名のつく以上は心配してくれるに相違ないと信じているらしい。随分単純なものだ。監督は主人が好んでなった役ではない。校長の命によってやむを得ずいただいている、云わば迷亭の叔父さんの山高帽子の種類である。ただ名前である。ただ名前だけではどうする事も出来ない。名前がいざと云う場合に役に立つなら雪江さんは名前だけで見合が出来る訳だ。武右衛門君はただに我儘《わがまま》なるのみならず、他人は己《おの》れに向って必ず親切でなくてはならんと云う、人間を買い被《かぶ》った仮定から出立している。笑われるなどとは思も寄らなかったろう。武右衛門君は監督の家《うち》へ来て、きっと人間について、一の真理を発明したに相違ない。彼はこの真理のために将来ますます本当の人間になるだろう。人の心配には冷淡になるだろう、人の困る時には大きな声で笑うだろう。かくのごとくにして天下は未来の武右衛門君をもって充《み》たされるであろう。金田君及び金田令夫人をもって充たされるであろう。吾輩は切に武右衛門君のために瞬時も早く自覚して真人間《まにんげん》になられん事を希望するのである。しからずんばいかに心配するとも、いかに後悔するとも、いかに善に移るの心が切実なりとも、とうてい金田君のごとき成功は得られんのである。いな社会は遠からずして君を人間の居住地以外に放逐するであろう。文明中学の退校どころではない。
かように考えて面白いなと思っていると、格子《こうし》ががらがらとあいて、玄関の障子《しょうじ》の蔭から顔が半分ぬうと出た。
「先生」
主人は武右衛門君に「そうさな」を繰り返していたところへ、先生と玄関から呼ばれたので、誰だろうとそっちを見ると半分ほど筋違《すじかい》に障子から食《は》み出している顔はまさしく寒月君である。「おい、御這入《おはい》り」と云ったぎり坐っている。
「御客ですか」と寒月君はやはり顔半分で聞き返している。
「なに構わん、まあ御上《おあ》がり」
「実はちょっと先生を誘いに来たんですがね」
「どこへ行くんだい。また赤坂かい。あの方面はもう御免だ。せんだっては無闇《むやみ》にあるかせられて、足が棒のようになった」
「今日は大丈夫です。久し振りに出ませんか」
「どこへ出るんだい。まあ御上がり」
「上野へ行って虎の鳴き声を聞こうと思うんです」
「つまらんじゃないか、それよりちょっと御上り」
寒月君はとうてい遠方では談判不調と思ったものか、靴を脱いでのそのそ上がって来た。例のごとく鼠色《ねずみいろ》の、尻につぎの中《あた》ったずぼんを穿《は》いているが、これは時代のため、もしくは尻の重いために破れたのではない、本人の弁解によると近頃自転車の稽古を始めて局部に比較的多くの摩擦を与えるからである。未来の細君をもって矚目《しょくもく》された本人へ文《ふみ》をつけた恋の仇《あだ》とは夢にも知らず、「やあ」と云って武右衛門君に軽く会釈《えしゃく》をして椽側《えんがわ》へ近い所へ座をしめた。
「虎の鳴き声を聞いたって詰らないじゃないか」
「ええ、今じゃいけません、これから方々散歩して夜十一時頃になって、上野へ行くんです」
「へえ」
「すると公園内の老木は森々《しんしん》として物凄《ものすご》いでしょう」
「そうさな、昼間より少しは淋《さみ》しいだろう」
「それで何でもなるべく樹《き》の茂った、昼でも人の通らない所を択《よ》ってあるいていると、いつの間《ま》にか紅塵万丈《こうじんばんじょう》の都会に住んでる気はなくなって、山の中へ迷い込んだような心持ちになるに相違ないです」
「そんな心持ちになってどうするんだい」
「そんな心持ちになって、しばらく佇《たたず》んでいるとたちまち動物園のうちで、虎が鳴くんです」
「そう旨《うま》く鳴くかい」
「大丈夫鳴きます。あの鳴き声は昼でも理科大学へ聞えるくらいなんですから、深夜|闃寂《げきせき》として、四望《しぼう》人なく、鬼気|肌《はだえ》に逼《せま》って、魑魅《ちみ》鼻を衝《つ》く際《さい》に……」
「魑魅鼻を衝くとは何の事だい」
「そんな事を云うじゃありませんか、怖《こわ》い時に」
「そうかな。あんまり聞かないようだが。それで」
「それで虎が上野の老杉《ろうさん》の葉をことごとく振い落すような勢で鳴くでしょう。物凄いでさあ」
「そりゃ物凄いだろう」
「どうです冒険に出掛けませんか。きっと愉快だろうと思うんです。どうしても虎の鳴き声は夜なかに聞かなくっちゃ、聞いたとはいわれないだろうと思うんです」
「そうさな」と主人は武右衛門君の哀願に冷淡であるごとく、寒月君の探検にも冷淡である。
この時まで黙然《もくねん》として虎の話を羨《うらや》ましそうに聞いていた武右衛門君は主人の「そうさな」で再び自分の身の上を思い出したと見えて、「先生、僕は心配なんですが、どうしたらいいでしょう」とまた聞き返す。寒月君は不審な顔をしてこの大きな頭を見た。吾輩は思う仔細《しさい》あってちょっと失敬して茶の間へ廻る。
茶の間では細君がくすくす笑いながら、京焼の安茶碗に番茶を浪々《なみなみ》と注《つ》いで、アンチモニーの茶托《ちゃたく》の上へ載せて、
「雪江さん、憚《はばか》りさま、これを出して来て下さい」
「わたし、いやよ」
「どうして」と細君は少々驚ろいた体《てい》で笑いをはたと留める。
「どうしてでも」と雪江さんはやにすました顔を即席にこしらえて、傍《そば》にあった読売新聞の上にのしかかるように眼を落した。細君はもう一応|協商《きょうしょう》を始める。
「あら妙な人ね。寒月さんですよ。構やしないわ」
「でも、わたし、いやなんですもの」と読売新聞の上から眼を放さない。こんな時に一字も読めるものではないが、読んでいないなどとあばかれたらまた泣き出すだろう。
「ちっとも恥かしい事はないじゃありませんか」と今度は細君笑いながら、わざと茶碗を読売新聞の上へ押しやる。雪江さんは「あら人の悪るい」と新聞を茶碗の下から、抜こうとする拍子に茶托《ちゃたく》に引きかかって、番茶は遠慮なく新聞の上から畳の目へ流れ込む。「それ御覧なさい」と細君が云うと、雪江さんは「あら大変だ」と台所へ馳《か》け出して行った。雑巾《ぞうきん》でも持ってくる了見《りょうけん》だろう。吾輩にはこの狂言がちょっと面白かった。
寒月君はそれ
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