ヲる、のぼせが下がる、これまた自然の順序にして毫《ごう》も疑を挟《さしはさ》むべき余地はない。かようにいろいろな方法を用いてのぼせ[#「のぼせ」に傍点]を下げる工夫は大分《だいぶ》発明されたが、まだのぼせ[#「のぼせ」に傍点]を引き起す良方が案出されないのは残念である。一概に考えるとのぼせは損あって益なき現象であるが、そうばかり速断してならん場合がある。職業によると逆上はよほど大切な者で、逆上せんと何にも出来ない事がある。その中《うち》でもっとも逆上を重んずるのは詩人である。詩人に逆上が必要なる事は汽船に石炭が欠くべからざるような者で、この供給が一日でも途切れると彼れ等は手を拱《こまぬ》いて飯を食うよりほかに何等の能もない凡人になってしまう。もっとも逆上は気違の異名《いみょう》で、気違にならないと家業《かぎょう》が立ち行かんとあっては世間体《せけんてい》が悪いから、彼等の仲間では逆上を呼ぶに逆上の名をもってしない。申し合せてインスピレーション、インスピレーションとさも勿体《もったい》そうに称《とな》えている。これは彼等が世間を瞞着《まんちゃく》するために製造した名でその実は正に逆上である。プレートーは彼等の肩を持ってこの種の逆上を神聖なる狂気と号したが、いくら神聖でも狂気では人が相手にしない。やはりインスピレーションと云う新発明の売薬のような名を付けておく方が彼等のためによかろうと思う。しかし蒲鉾《かまぼこ》の種が山芋《やまいも》であるごとく、観音《かんのん》の像が一寸八分の朽木《くちき》であるごとく、鴨南蛮《かもなんばん》の材料が烏であるごとく、下宿屋の牛鍋《ぎゅうなべ》が馬肉であるごとくインスピレーションも実は逆上である。逆上であって見れば臨時の気違である。巣鴨へ入院せずに済むのは単に臨時[#「臨時」に傍点]気違であるからだ。ところがこの臨時の気違を製造する事が困難なのである。一生涯《いっしょうがい》の狂人はかえって出来安いが、筆を執《と》って紙に向う間《あいだ》だけ気違にするのは、いかに巧者《こうしゃ》な神様でもよほど骨が折れると見えて、なかなか拵《こしら》えて見せない。神が作ってくれん以上は自力で拵えなければならん。そこで昔から今日《こんにち》まで逆上術もまた逆上とりのけ術と同じく大《おおい》に学者の頭脳を悩ました。ある人はインスピレーションを得るために毎日渋柿を十二個ずつ食った。これは渋柿を食えば便秘する、便秘すれば逆上は必ず起るという理論から来たものだ。またある人はかん徳利を持って鉄砲風呂《てっぽうぶろ》へ飛び込んだ。湯の中で酒を飲んだら逆上するに極《きま》っていると考えたのである。その人の説によるとこれで成功しなければ葡萄酒《ぶどうしゅ》の湯をわかして這入《はい》れば一|返《ぺん》で功能があると信じ切っている。しかし金がないのでついに実行する事が出来なくて死んでしまったのは気の毒である。最後に古人の真似をしたらインスピレーションが起るだろうと思いついた者がある。これはある人の態度動作を真似ると心的状態もその人に似てくると云う学説を応用したのである。酔っぱらいのように管《くだ》を捲《ま》いていると、いつの間《ま》にか酒飲みのような心持になる、坐禅をして線香一本の間我慢しているとどことなく坊主らしい気分になれる。だから昔からインスピレーションを受けた有名の大家の所作《しょさ》を真似れば必ず逆上するに相違ない。聞くところによればユーゴーは快走船《ヨット》の上へ寝転《ねころ》んで文章の趣向を考えたそうだから、船へ乗って青空を見つめていれば必ず逆上|受合《うけあい》である。スチーヴンソンは腹這《はらばい》に寝て小説を書いたそうだから、打《う》つ伏《ぷ》しになって筆を持てばきっと血が逆《さ》かさに上《のぼ》ってくる。かようにいろいろな人がいろいろの事を考え出したが、まだ誰も成功しない。まず今日《こんにち》のところでは人為的逆上は不可能の事となっている。残念だが致し方がない。早晩随意にインスピレーションを起し得る時機の到来するは疑《うたがい》もない事で、吾輩は人文のためにこの時機の一日も早く来らん事を切望するのである。
逆上の説明はこのくらいで充分だろうと思うから、これよりいよいよ事件に取りかかる。しかしすべての大事件の前には必ず小事件が起るものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥《おちい》る弊竇《へいとう》である。主人の逆上も小事件に逢う度に一層の劇甚《げきじん》を加えて、ついに大事件を引き起したのであるからして、幾分かその発達を順序立てて述べないと主人がいかに逆上しているか分りにくい。分りにくいと主人の逆上は空名に帰して、世間からはよもやそれほどでもなかろうと見くびられるかも知れない。せっかく逆上しても人から天晴《あっぱれ》な逆上と謡《うた》われなくては張り合がないだろう。これから述べる事件は大小に係《かかわ》らず主人に取って名誉な者ではない。事件その物が不名誉であるならば、責《せ》めて逆上なりとも、正銘《しょうめい》の逆上であって、決して人に劣るものでないと云う事を明かにしておきたい。主人は他に対して別にこれと云って誇るに足る性質を有しておらん。逆上でも自慢しなくてはほかに骨を折って書き立ててやる種がない。
落雲館に群がる敵軍は近日に至って一種のダムダム弾を発明して、十分《じっぷん》の休暇、もしくは放課後に至って熾《さかん》に北側の空地《あきち》に向って砲火を浴びせかける。このダムダム弾は通称をボールと称《とな》えて、擂粉木《すりこぎ》の大きな奴をもって任意これを敵中に発射する仕掛である。いくらダムダムだって落雲館の運動場から発射するのだから、書斎に立て籠《こも》ってる主人に中《あた》る気遣《きづかい》はない。敵といえども弾道のあまり遠過ぎるのを自覚せん事はないのだけれど、そこが軍略である。旅順の戦争にも海軍から間接射撃を行って偉大な功を奏したと云う話であれば、空地へころがり落つるボールといえども相当の功果を収め得ぬ事はない。いわんや一発を送る度《たび》に総軍力を合せてわーと威嚇性《いかくせい》大音声《だいおんじょう》を出《いだ》すにおいてをやである。主人は恐縮の結果として手足に通う血管が収縮せざるを得ない。煩悶《はんもん》の極《きょく》そこいらを迷付《まごつ》いている血が逆《さか》さに上《のぼ》るはずである。敵の計《はかりごと》はなかなか巧妙と云うてよろしい。昔《むか》し希臘《ギリシャ》にイスキラスと云う作家があったそうだ。この男は学者作家に共通なる頭を有していたと云う。吾輩のいわゆる学者作家に共通なる頭とは禿《はげ》と云う意味である。なぜ頭が禿げるかと云えば頭の営養不足で毛が生長するほど活気がないからに相違ない。学者作家はもっとも多く頭を使うものであって大概は貧乏に極《きま》っている。だから学者作家の頭はみんな営養不足でみんな禿げている。さてイスキラスも作家であるから自然の勢《いきおい》禿げなくてはならん。彼はつるつる然たる金柑頭《きんかんあたま》を有しておった。ところがある日の事、先生例の頭――頭に外行《よそゆき》も普段着《ふだんぎ》もないから例の頭に極ってるが――その例の頭を振り立て振り立て、太陽に照らしつけて往来をあるいていた。これが間違いのもとである。禿げ頭を日にあてて遠方から見ると、大変よく光るものだ。高い木には風があたる、光かる頭にも何かあたらなくてはならん。この時イスキラスの頭の上に一羽の鷲《わし》が舞っていたが、見るとどこかで生捕《いけど》った一|疋《ぴき》の亀を爪の先に攫《つか》んだままである。亀、スッポンなどは美味に相違ないが、希臘時代から堅い甲羅《こうら》をつけている。いくら美味でも甲羅ツきではどうする事も出来ん。海老《えび》の鬼殻焼《おにがらやき》はあるが亀の子の甲羅煮は今でさえないくらいだから、当時は無論なかったに極っている。さすがの鷲《わし》も少々持て余した折柄《おりから》、遥《はる》かの下界にぴかと光った者がある。その時鷲はしめたと思った。あの光ったものの上へ亀の子を落したなら、甲羅は正《まさ》しく砕けるに極《き》わまった。砕けたあとから舞い下りて中味《なかみ》を頂戴《ちょうだい》すれば訳はない。そうだそうだと覗《ねらい》を定めて、かの亀の子を高い所から挨拶も無く頭の上へ落した。生憎《あいにく》作家の頭の方が亀の甲より軟らかであったものだから、禿はめちゃめちゃに砕けて有名なるイスキラスはここに無惨《むざん》の最後を遂げた。それはそうと、解《げ》しかねるのは鷲の了見である。例の頭を、作家の頭と知って落したのか、または禿岩と間違えて落したものか、解決しよう次第で、落雲館の敵とこの鷲とを比較する事も出来るし、また出来なくもなる。主人の頭はイスキラスのそれのごとく、また御歴々《おれきれき》の学者のごとくぴかぴか光ってはおらん。しかし六畳敷にせよいやしくも書斎と号する一室を控《ひか》えて、居眠りをしながらも、むずかしい書物の上へ顔を翳《かざ》す以上は、学者作家の同類と見傚《みな》さなければならん。そうすると主人の頭の禿げておらんのは、まだ禿げるべき資格がないからで、その内に禿げるだろうとは近々《きんきん》この頭の上に落ちかかるべき運命であろう。して見れば落雲館の生徒がこの頭を目懸けて例のダムダム丸《がん》を集注するのは策のもっとも時宜《じぎ》に適したものと云わねばならん。もし敵がこの行動を二週間継続するならば、主人の頭は畏怖《いふ》と煩悶《はんもん》のため必ず営養の不足を訴えて、金柑《きんかん》とも薬缶《やかん》とも銅壺《どうこ》とも変化するだろう。なお二週間の砲撃を食《くら》えば金柑は潰《つぶ》れるに相違ない。薬缶は洩《も》るに相違ない。銅壺ならひびが入るにきまっている。この睹易《みやす》き結果を予想せんで、あくまでも敵と戦闘を継続しようと苦心するのは、ただ本人たる苦沙弥先生のみである。
ある日の午後、吾輩は例のごとく椽側《えんがわ》へ出て午睡《ひるね》をして虎になった夢を見ていた。主人に鶏肉《けいにく》を持って来いと云うと、主人がへえと恐る恐る鶏肉を持って出る。迷亭が来たから、迷亭に雁《がん》が食いたい、雁鍋《がんなべ》へ行って誂《あつ》らえて来いと云うと、蕪《かぶ》の香《こう》の物《もの》と、塩煎餅《しおせんべい》といっしょに召し上がりますと雁の味が致しますと例のごとく茶羅《ちゃら》ッ鉾《ぽこ》を云うから、大きな口をあいて、うーと唸《うな》って嚇《おどか》してやったら、迷亭は蒼《あお》くなって山下《やました》の雁鍋は廃業致しましたがいかが取り計《はから》いましょうかと云った。それなら牛肉で勘弁するから早く西川へ行ってロースを一斤取って来い、早くせんと貴様から食い殺すぞと云ったら、迷亭は尻を端折《はしょ》って馳《か》け出した。吾輩は急にからだが大きくなったので、椽側一杯に寝そべって、迷亭の帰るのを待ち受けていると、たちまち家中《うちじゅう》に響く大きな声がしてせっかくの牛《ぎゅう》も食わぬ間《ま》に夢がさめて吾に帰った。すると今まで恐る恐る吾輩の前に平伏していたと思いのほかの主人が、いきなり後架《こうか》から飛び出して来て、吾輩の横腹をいやと云うほど蹴《け》たから、おやと思ううち、たちまち庭下駄をつっかけて木戸から廻って、落雲館の方へかけて行く。吾輩は虎から急に猫と収縮したのだから何となく極《きま》りが悪くもあり、おかしくもあったが、主人のこの権幕と横腹を蹴られた痛さとで、虎の事はすぐ忘れてしまった。同時に主人がいよいよ出馬して敵と交戦するな面白いわいと、痛いのを我慢して、後《あと》を慕って裏口へ出た。同時に主人がぬすっとう[#「ぬすっとう」に傍点]と怒鳴る声が聞える、見ると制帽をつけた十八九になる倔強《くっきょう》な奴が一人、四ツ目垣を向うへ乗り越えつつある。やあ遅かったと思ううち、彼《か》の制帽は馳け足の姿勢をとって根拠地の方へ韋駄天《い
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