Bからかいかけるや否や八つ裂きにされてしまう。からかうと歯をむき出して怒《おこ》る、怒る事は怒るが、こっちをどうする事も出来ないと云う安心のある時に愉快は非常に多いものである。なぜこんな事が面白いと云うとその理由はいろいろある。まずひまつぶしに適している。退屈な時には髯《ひげ》の数さえ勘定して見たくなる者だ。昔《むか》し獄に投ぜられた囚人の一人は無聊《ぶりょう》のあまり、房《へや》の壁に三角形を重ねて画《か》いてその日をくらしたと云う話がある。世の中に退屈ほど我慢の出来にくいものはない、何か活気を刺激する事件がないと生きているのがつらいものだ。からかう[#「からかう」に傍点]と云うのもつまりこの刺激を作って遊ぶ一種の娯楽である。但《ただ》し多少先方を怒らせるか、じらせるか、弱らせるかしなくては刺激にならんから、昔しからからかう[#「からかう」に傍点]と云う娯楽に耽《ふけ》るものは人の気を知らない馬鹿大名のような退屈の多い者、もしくは自分のなぐさみ以外は考うるに暇《いとま》なきほど頭の発達が幼稚で、しかも活気の使い道に窮する少年かに限っている。次には自己の優勢な事を実地に証明するものにはもっとも簡便な方法である。人を殺したり、人を傷《きずつ》けたり、またヘ人を陥《おとしい》れたりしても自己の優勢な事は証明出来る訳であるが、これらはむしろ殺したり、傷けたり、陥れたりするのが目的のときによるべき手段で、自己の優勢なる事はこの手段を遂行《すいこう》した後《のち》に必然の結果として起る現象に過ぎん。だから一方には自分の勢力が示したくって、しかもそんなに人に害を与えたくないと云う場合には、からかう[#「からかう」に傍点]のが一番|御恰好《おかっこう》である。多少人を傷けなければ自己のえらい[#「えらい」に傍点]事は事実の上に証拠だてられない。事実になって出て来ないと、頭のうちで安心していても存外快楽のうすいものである。人間は自己を恃《たの》むものである。否恃み難い場合でも恃みたいものである。それだから自己はこれだけ恃める者だ、これなら安心だと云う事を、人に対して実地に応用して見ないと気がすまない。しかも理窟《りくつ》のわからない俗物や、あまり自己が恃みになりそうもなくて落ちつきのない者は、あらゆる機会を利用して、この証券を握ろうとする。柔術使が時々人を投げて見たくなるのと同じ事である。柔術の怪しいものは、どうか自分より弱い奴に、ただの一|返《ぺん》でいいから出逢って見たい、素人《しろうと》でも構わないから抛《な》げて見たいと至極危険な了見を抱《いだ》いて町内をあるくのもこれがためである。その他にも理由はいろいろあるが、あまり長くなるから略する事に致す。聞きたければ鰹節《かつぶし》の一折《ひとおり》も持って習いにくるがいい、いつでも教えてやる。以上に説くところを参考して推論して見ると、吾輩の考《かんがえ》では奥山《おくやま》の猿《さる》と、学校の教師がからかうには一番手頃である。学校の教師をもって、奥山の猿に比較しては勿体《もったい》ない。――猿に対して勿体ないのではない、教師に対して勿体ないのである。しかしよく似ているから仕方がない、御承知の通り奥山の猿は鎖《くさり》で繋《つな》がれている。いくら歯をむき出しても、きゃっきゃっ騒いでも引き掻《か》かれる気遣《きづかい》はない。教師は鎖で繋がれておらない代りに月給で縛られている。いくらからかったって大丈夫、辞職して生徒をぶんなぐる事はない。辞職をする勇気のあるようなものなら最初から教師などをして生徒の御守《おも》りは勤めないはずである。主人は教師である。落雲館の教師ではないが、やはり教師に相違ない。からかう[#「からかう」に傍点]には至極《しごく》適当で、至極|安直《あんちょく》で、至極無事な男である。落雲館の生徒は少年である。からかう[#「からかう」に傍点]事は自己の鼻を高くする所以《ゆえん》で、教育の功果として至当に要求してしかるべき権利とまで心得ている。のみならずからかい[#「からかい」に傍点]でもしなければ、活気に充《み》ちた五体と頭脳を、いかに使用してしかるべきか十分《じっぷん》の休暇中|持《も》てあまして困っている連中である。これらの条件が備われば主人は自《おのず》からからかわれ[#「からかわれ」に傍点]、生徒は自からからかう[#「からかう」に傍点]、誰から云わしても毫《ごう》も無理のないところである。それを怒《おこ》る主人は野暮《やぼ》の極、間抜の骨頂でしょう。これから落雲館の生徒がいかに主人にからかったか、これに対して主人がいかに野暮を極めたかを逐一かいてご覧に入れる。
諸君は四つ目垣とはいかなる者であるか御承知であろう。風通しのいい、簡便な垣である。吾輩などは目の間から自由自在に往来する事が出来る。こしらえたって、こしらえなくたって同じ事だ。然し落雲館の校長は猫のために四つ目垣を作ったのではない、自分が養成する君子が潜《くぐ》られんために、わざわざ職人を入れて結《ゆ》い繞《めぐ》らせたのである。なるほどいくら風通しがよく出来ていても、人間には潜《くぐ》れそうにない。この竹をもって組み合せたる四寸角の穴をぬける事は、清国《しんこく》の奇術師|張世尊《ちょうせいそん》その人といえどもむずかしい。だから人間に対しては充分垣の功能をつくしているに相違ない。主人がその出来上ったのを見て、これならよかろうと喜んだのも無理はない。しかし主人の論理には大《おおい》なる穴がある。この垣よりも大いなる穴がある。呑舟《どんしゅう》の魚をも洩《も》らすべき大穴がある。彼は垣は踰《こ》ゆべきものにあらずとの仮定から出立している。いやしくも学校の生徒たる以上はいかに粗末の垣でも、垣と云う名がついて、分界線の区域さえ判然すれば決して乱入される気遣はないと仮定したのである。次に彼はその仮定をしばらく打ち崩《くず》して、よし乱入する者があっても大丈夫と論断したのである。四つ目垣の穴を潜《くぐ》り得る事は、いかなる小僧といえどもとうてい出来る気遣はないから乱入の虞《おそれ》は決してないと速定《そくてい》してしまったのである。なるほど彼等が猫でない限りはこの四角の目をぬけてくる事はしまい、したくても出来まいが、乗り踰《こ》える事、飛び越える事は何の事もない。かえって運動になって面白いくらいである。
垣の出来た翌日から、垣の出来ぬ前と同様に彼等は北側の空地へぽかりぽかりと飛び込む。但《ただ》し座敷の正面までは深入りをしない。もし追い懸けられたら逃げるのに、少々ひまがいるから、予《あらかじ》め逃げる時間を勘定に入《い》れて、捕《とら》えらるる危険のない所で遊弋《ゆうよく》をしている。彼等が何をしているか東の離れにいる主人には無論目に入《い》らない。北側の空地《あきち》に彼等が遊弋している状態は、木戸をあけて反対の方角から鉤《かぎ》の手に曲って見るか、または後架《こうか》の窓から垣根越しに眺《なが》めるよりほかに仕方がない。窓から眺める時はどこに何がいるか、一目《いちもく》明瞭に見渡す事が出来るが、よしや敵を幾人《いくたり》見出したからと云って捕える訳には行かぬ。ただ窓の格子《こうし》の中から叱りつけるばかりである。もし木戸から迂回《うかい》して敵地を突こうとすれば、足音を聞きつけて、ぽかりぽかりと捉《つら》まる前に向う側へ下りてしまう。膃肭臍《おっとせい》がひなたぼっこをしているところへ密猟船が向ったような者だ。主人は無論後架で張り番をしている訳ではない。と云って木戸を開いて、音がしたら直ぐ飛び出す用意もない。もしそんな事をやる日には教師を辞職して、その方専門にならなければ追っつかない。主人方の不利を云うと書斎からは敵の声だけ聞えて姿が見えないのと、窓からは姿が見えるだけで手が出せない事である。この不利を看破したる敵はこんな軍略を講じた。主人が書斎に立て籠《こも》っていると探偵した時には、なるべく大きな声を出してわあわあ云う。その中には主人をひやかすような事を聞こえよがしに述べる。しかもその声の出所を極めて不分明にする。ちょっと聞くと垣の内で騒いでいるのか、あるいは向う側であばれているのか判定しにくいようにする。もし主人が出懸けて来たら、逃げ出すか、または始めから向う側にいて知らん顔をする。また主人が後架へ――吾輩は最前からしきりに後架後架ときたない字を使用するのを別段の光栄とも思っておらん、実は迷惑千万であるが、この戦争を記述する上において必要であるからやむを得ない。――即《すなわ》ち主人が後架へまかり越したと見て取るときは、必ず桐の木の附近を徘徊《はいかい》してわざと主人の眼につくようにする。主人がもし後架から四隣《しりん》に響く大音を揚げて怒鳴りつければ敵は周章《あわ》てる気色《けしき》もなく悠然《ゆ、ぜん》と根拠地へ引きあげる。この軍略を用いられると主人ははなはだ困却する。たしかに這入《はい》っているなと思ってステッキを持って出懸けると寂然《せきぜん》として誰もいない。いないかと思って窓からのぞくと必ず一二人這入っている。主人は裏へ廻って見たり、後架から覗《のぞ》いて見たり、後架から覗いて見たり、裏へ廻って見たり、何度言っても同じ事だが、何度云っても同じ事を繰り返している。奔命《ほんめい》に疲れるとはこの事である。教師が職業であるか、戦争が本務であるかちょっと分らないくらい逆上《ぎゃくじょう》して来た。この逆上の頂点に達した時に下《しも》の事件が起ったのである。
事件は大概逆上から出る者だ。逆上とは読んで字のごとく逆《さ》かさに上《のぼ》るのである、この点に関してはゲーレンもパラセルサスも旧弊なる扁鵲《へんじゃく》も異議を唱《とな》うる者は一人もない。ただどこへ逆《さ》かさに上《のぼ》るかが問題である。また何が逆かさに上るかが議論のあるところである。古来欧洲人の伝説によると、吾人の体内には四種の液が循環しておったそうだ。第一に怒液《どえき》と云う奴《やつ》がある。これが逆かさに上ると怒《おこ》り出す。第二に鈍液《どんえき》と名づくるのがある。これが逆かさに上ると神経が鈍《にぶ》くなる。次には憂液《ゆうえき》、これは人間を陰気にする。最後が血液《けつえき》、これは四肢《しし》を壮《さか》んにする。その後《ご》人文が進むに従って鈍液、怒液、憂液はいつの間《ま》にかなくなって、現今に至っては血液だけが昔のように循環していると云う話しだ。だからもし逆上する者があらば血液よりほかにはあるまいと思われる。しかるにこの血液の分量は個人によってちゃんと極《き》まっている。性分によって多少の増減はあるが、まず大抵一人前に付五升五合の割合である。だによって、この五升五合が逆かさに上ると、上ったところだけは熾《さか》んに活動するが、その他の局部は欠乏を感じて冷たくなる。ちょうど交番焼打の当時巡査がことごとく警察署へ集って、町内には一人もなくなったようなものだ。あれも医学上から診断をすると警察の逆上と云う者である。でこの逆上を癒《い》やすには血液を従前のごとく体内の各部へ平均に分配しなければならん。そうするには逆かさに上った奴を下へ降《おろ》さなくてはならん。その方にはいろいろある。今は故人となられたが主人の先君などは濡《ぬ》れ手拭《てぬぐい》を頭にあてて炬燵《こたつ》にあたっておられたそうだ。頭寒足熱《ずかんそくねつ》は延命息災の徴と傷寒論《しょうかんろん》にも出ている通り、濡れ手拭は長寿法において一日も欠くべからざる者である。それでなければ坊主の慣用する手段を試みるがよい。一所不住《いっしょふじゅう》の沙門《しゃもん》雲水行脚《うんすいあんぎゃ》の衲僧《のうそう》は必ず樹下石上を宿《やど》とすとある。樹下石上とは難行苦行のためではない。全くのぼせ[#「のぼせ」に傍点]を下《さ》げるために六祖《ろくそ》が米を舂《つ》きながら考え出した秘法である。試みに石の上に坐ってご覧、尻が冷えるのは当りOだろう。尻が冷�
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