したが、まてしばし、ここが肝心《かんじん》のところだ。滅多《めった》な事をしては失敗する。まあよそうと、際《きわ》どいところで思い留まりました」
「なんだ、まだ買わないのかい。ヴァイオリン一梃でなかなか人を引っ張るじゃないか」
「引っ張る訳じゃないんですが、どうも、まだ買えないんですから仕方がありません」
「なぜ」
「なぜって、まだ宵《よい》の口で人が大勢通るんですもの」
「構わんじゃないか、人が二百や三百通ったって、君はよっぽど妙な男だ」と主人はぷんぷんしている。
「ただの人なら千が二千でも構いませんがね、学校の生徒が腕まくりをして、大きなステッキを持って徘徊《はいかい》しているんだから容易に手を出せませんよ。中には沈澱党《ちんでんとう》などと号して、いつまでもクラスの底に溜まって喜んでるのがありますからね。そんなのに限って柔道は強いのですよ。滅多《めった》にヴァイオリンなどに手出しは出来ません。どんな目に逢《あ》うかわかりません。私だってヴァイオリンは欲しいに相違ないですけれども、命はこれでも惜しいですからね。ヴァイオリンを弾《ひ》いて殺されるよりも、弾かずに生きてる方が楽ですよ」
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