とあし》運ぶごとにがさがさするのが気にかかります。誰かあとをつけて来そうでたまりません。振り向いて見ると東嶺寺《とうれいじ》の森がこんもりと黒く、暗い中に暗く写っています。この東嶺寺と云うのは松平家《まつだいらけ》の菩提所《ぼだいしょ》で、庚申山《こうしんやま》の麓《ふもと》にあって、私の宿とは一丁くらいしか隔《へだた》っていない、すこぶる幽邃《ゆうすい》な梵刹《ぼんせつ》です。森から上はのべつ幕なしの星月夜で、例の天の河が長瀬川を筋違《すじかい》に横切って末は――末は、そうですね、まず布哇《ハワイ》の方へ流れています……」
「布哇は突飛だね」と迷亭君が云った。
「南郷街道をついに二丁来て、鷹台町《たかのだいまち》から市内に這入って、古城町《こじょうまち》を通って、仙石町《せんごくまち》を曲って、喰代町《くいしろちょう》を横に見て、通町《とおりちょう》を一丁目、二丁目、三丁目と順に通り越して、それから尾張町《おわりちょう》、名古屋町《なごやちょう》、鯱鉾町《しゃちほこちょう》、蒲鉾町《かまぼこちょう》……」
「そんなにいろいろな町を通らなくてもいい。要するにヴァイオリンを買ったのか、買
前へ 次へ
全750ページ中673ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング