vに傍点]を見事にやって退《の》けた。あばた[#「あばた」に傍点]を研究しているのか、鏡と睨《にら》め競《くら》をしているのかその辺は少々不明である。気の多い主人の事だから見ているうちにいろいろになると見える。それどころではない。もし善意をもって蒟蒻《こんにゃく》問答的《もんどうてき》に解釈してやれば主人は見性自覚《けんしょうじかく》の方便《ほうべん》としてかように鏡を相手にいろいろな仕草《しぐさ》を演じているのかも知れない。すべて人間の研究と云うものは自己を研究するのである。天地と云い山川《さんせん》と云い日月《じつげつ》と云い星辰《せいしん》と云うも皆自己の異名《いみょう》に過ぎぬ。自己を措《お》いて他に研究すべき事項は誰人《たれびと》にも見出《みいだ》し得ぬ訳だ。もし人間が自己以外に飛び出す事が出来たら、飛び出す途端に自己はなくなってしまう。しかも自己の研究は自己以外に誰もしてくれる者はない。いくら仕てやりたくても、貰いたくても、出来ない相談である。それだから古来の豪傑はみんな自力で豪傑になった。人のお蔭で自ネが分るくらいなら、自分の代理に牛肉を喰わして、堅いか柔かいか判断の出来
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