と。どうだ君も画らしい画をかこうと思うならちと写生をしたら」
「へえアンドレア・デル・サルトがそんな事をいった事があるかい。ちっとも知らなかった。なるほどこりゃもっともだ。実にその通りだ」と主人は無暗《むやみ》に感心している。金縁の裏には嘲《あざ》けるような笑《わらい》が見えた。
その翌日吾輩は例のごとく椽側《えんがわ》に出て心持善く昼寝《ひるね》をしていたら、主人が例になく書斎から出て来て吾輩の後《うし》ろで何かしきりにやっている。ふと眼が覚《さ》めて何をしているかと一分《いちぶ》ばかり細目に眼をあけて見ると、彼は余念もなくアンドレア・デル・サルトを極《き》め込んでいる。吾輩はこの有様を見て覚えず失笑するのを禁じ得なかった。彼は彼の友に揶揄《やゆ》せられたる結果としてまず手初めに吾輩を写生しつつあるのである。吾輩はすでに十分《じゅうぶん》寝た。欠伸《あくび》がしたくてたまらない。しかしせっかく主人が熱心に筆を執《と》っているのを動いては気の毒だと思って、じっと辛棒《しんぼう》しておった。彼は今吾輩の輪廓をかき上げて顔のあたりを色彩《いろど》っている。吾輩は自白する。吾輩は猫として決
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