き過ぎた。五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえた」
「その一句は大出来だ。君はなかなか文才があるね。それから次の句は」
「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」
「先生だいぶ面白うございますが、ちと大和魂が多過ぎはしませんか」と東風君が注意する。「賛成」と云ったのは無論迷亭である。
「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇《あ》った者がない。大和魂はそれ天狗《てんぐ》の類《たぐい》か」
主人は一結杳然《いっけつようぜん》と云うつもりで読み終ったが、さすがの名文もあまり短か過ぎるのと、主意がどこにあるのか分りかねるので、三人はまだあとがある事と思って待っている。いくら待っていても、うんとも、すんとも、云わないので、最後に寒月が「それぎりですか」と聞くと主人は軽《かろ》く「うん」と答えた。うんは少し気楽過ぎる。
不思議な事に迷亭はこの名文に対して、いつものようにあまり駄弁を振わなかったが、やがて向き直って、「君も短篇を集めて一巻として、そうして誰かに捧げてはどうだ」と聞いた。主人は事もなげに「君に捧げてやろうか」と聴くと迷亭は「真平《まっぴら》だ」と答えたぎり、先刻《さっき》細君に見せびらかした鋏《はさみ》をちょきちょき云わして爪をとっている。寒月君は東風君に向って「君はあの金田の令嬢を知ってるのかい」と尋ねる。「この春朗読会へ招待してから、懇意になってそれからは始終交際をしている。僕はあの令嬢の前へ出ると、何となく一種の感に打たれて、当分のうちは詩を作っても歌を詠《よ》んでも愉快に興が乗って出て来る。この集中にも恋の詩が多いのは全くああ云う異性の朋友《ほうゆう》からインスピレーションを受けるからだろうと思う。それで僕はあの令嬢に対しては切実に感謝の意を表しなければならんからこの機を利用して、わが集を捧げる事にしたのさ。昔《むか》しから婦人に親友のないもので立派な詩をかいたものはないそうだ」「そうかなあ」と寒月君は顔の奥で笑いながら答えた。いくら駄弁家の寄合でもそう長くは続かんものと見えて、談話の火の手は大分《だいぶ》下火になった。吾輩も彼等の変化なき雑談を終日聞かねばならぬ義務もないから、失敬して庭へ蟷螂《かまきり》を探しに出た。梧桐《あおぎり》の緑を綴《つづ》る間から西に傾く日が斑《まだ》らに洩《も》れて、幹にはつくつく法師《ぼうし》が懸命にないている。晩はことによると一雨かかるかも知れない。
七
吾輩は近頃運動を始めた。猫の癖に運動なんて利《き》いた風だと一概に冷罵《れいば》し去る手合《てあい》にちょっと申し聞けるが、そう云《い》う人間だってつい近年までは運動の何者たるを解せずに、食って寝るのを天職のように心得ていたではないか。無事是貴人《ぶじこれきにん》とか称《とな》えて、懐手《ふところで》をして座布団《ざぶとん》から腐れかかった尻を離さざるをもって旦那の名誉と脂下《やにさが》って暮したのは覚えているはずだ。運動をしろの、牛乳を飲めの冷水を浴びろの、海の中へ飛び込めの、夏になったら山の中へ籠《こも》って当分霞を食《くら》えのとくだらぬ注文を連発するようになったのは、西洋から神国へ伝染しした輓近《ばんきん》の病気で、やはりペスト、肺病、神経衰弱の一族と心得ていいくらいだ。もっとも吾輩は去年生れたばかりで、当年とって一歳だから人間がこんな病気に罹《かか》り出した当時の有様は記憶に存しておらん、のみならずその砌《みぎ》りは浮世の風中《かざなか》にふわついておらなかったに相違ないが、猫の一年は人間の十年に懸《か》け合うと云ってもよろしい。吾等の寿命は人間より二倍も三倍も短いに係《かかわ》らず、その短日月の間に猫一疋の発達は十分|仕《つかまつ》るところをもって推論すると、人間の年月と猫の星霜《せいそう》を同じ割合に打算するのははなはだしき誤謬《ごびゅう》である。第一、一歳何ヵ月に足らぬ吾輩がこのくらいの見識を有しているのでも分るだろう。主人の第三女などは数え年で三つだそうだが、智識の発達から云うと、いやはや鈍いものだ。泣く事と、寝小便をする事と、おっぱいを飲む事よりほかに何にも知らない。世を憂い時を憤《いきどお》る吾輩などに較《くら》べると、からたわいのない者だ。それだから吾輩が運動、海水浴、転地療養の歴史を方寸のうちに畳み込んでいたって毫《ごう》も驚くに足りない。これしきの事をもし驚ろく者があったなら、それは人間と云う足の二本足りない野呂間《のろま》に極《きま》っている。人間は昔から野呂間である。であるから近頃に至って漸々《ようよう》運動の功能を吹聴《ふいちょう》したり、海水浴の利益を喋々《ちょう
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