ソめんぼう》を種に使ったところが面白かろうと大得意なんです。敬服の至りですと云って御別れしたようなものの実は午飯《ひるめし》の時刻が延びたので大変空腹になって弱りましたよ」「それは御迷惑でしたろう」と主人は始めて同情を表する。これには吾輩も異存はない。しばらく話しが途切れて吾輩の咽喉《のど》を鳴轤キ音が主客《しゅかく》の耳に入る。
 東風君は冷めたくなった茶をぐっと飲み干して「実は今日参りましたのは、少々先生に御願があって参ったので」と改まる。「はあ、何か御用で」と主人も負けずに済《す》ます。「御承知の通り、文学美術が好きなものですから……」「結構で」と油を注《さ》す。「同志だけがよりましてせんだってから朗読会というのを組織しまして、毎月一回会合してこの方面の研究をこれから続けたいつもりで、すでに第一回は去年の暮に開いたくらいであります」「ちょっと伺っておきますが、朗読会と云うと何か節奏《ふし》でも附けて、詩歌《しいか》文章の類《るい》を読むように聞えますが、一体どんな風にやるんです」「まあ初めは古人の作からはじめて、追々《おいおい》は同人の創作なんかもやるつもりです」「古人の作というと白楽天《はくらくてん》の琵琶行《びわこう》のようなものででもあるんですか」「いいえ」「蕪村《ぶそん》の春風馬堤曲《しゅんぷうばていきょく》の種類ですか」「いいえ」「それじゃ、どんなものをやったんです」「せんだっては近松の心中物《しんじゅうもの》をやりました」「近松? あの浄瑠璃《じょうるり》の近松ですか」近松に二人はない。近松といえば戯曲家の近松に極《きま》っている。それを聞き直す主人はよほど愚《ぐ》だと思っていると、主人は何にも分らずに吾輩の頭を叮嚀《ていねい》に撫《な》でている。藪睨《やぶにら》みから惚《ほ》れられたと自認している人間もある世の中だからこのくらいの誤謬《ごびゅう》は決して驚くに足らんと撫でらるるがままにすましていた。「ええ」と答えて東風子《とうふうし》は主人の顔色を窺《うかが》う。「それじゃ一人で朗読するのですか、または役割を極《き》めてやるんですか」「役を極めて懸合《かけあい》でやって見ました。その主意はなるべく作中の人物に同情を持ってその性格を発揮するのを第一として、それに手真似や身振りを添えます。白《せりふ》はなるべくその時代の人を写し出すのが主で、御嬢さん
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