。何でも学校の生徒が散歩から帰りつくして、そうして金善がまだ寝ない時を見計らって来なければ、せっかくの計画が水泡に帰する。けれどもその時間をうまく見計うのがむずかしい」
「なるほどこりゃむずかしかろう」
「で僕はその時間をまあ十時頃と見積ったね。それで今から十時頃までどこかで暮さなければならない。うちへ帰って出直すのは大変だ。友達のうちへ話しに行くのは何だか気が咎《とが》めるようで面白くなし、仕方がないから相当の時間がくるまで市中を散歩する事にした。ところが平生ならば二時間や三時間はぶらぶらあるいているうちに、いつの間《ま》にか経ってしまうのだがその夜《よ》に限って、時間のたつのが遅いの何のって、――千秋《せんしゅう》の思とはあんな事を云うのだろうと、しみじみ感じました」とさも感じたらしい風をしてわざと迷亭先生の方を向く。
「古人を待つ身につらき置炬燵《おきごたつ》と云われた事があるからね、また待たるる身より待つ身はつらいともあって軒に吊られたヴァイオリンもつらかったろうが、あてのない探偵のようにうろうろ、まごついている君はなおさらつらいだろう。累々《るいるい》として喪家《そうか》の犬のごとし。いや宿のない犬ほど気の毒なものは実際ないよ」
「犬は残酷ですね。犬に比較された事はこれでもまだありませんよ」
「僕は何だか君の話をきくと、昔《むか》しの芸術家の伝を読むような気持がして同情の念に堪《た》えない。犬に比較したのは先生の冗談《じょうだん》だから気に掛けずに話を進行したまえ」と東風君は慰藉《いしゃ》した。慰藉されなくても寒月君は無論話をつづけるつもりである。
「それから徒町《おかちまち》から百騎町《ひゃっきまち》を通って、両替町《りょうがえちょう》から鷹匠町《たかじょうまち》へ出て、県庁の前で枯柳の数を勘定して病院の横で窓の灯《ひ》を計算して、紺屋橋《こんやばし》の上で巻煙草《まきたばこ》を二本ふかして、そうして時計を見た。……」
「十時になったかい」
「惜しい事にならないね。――紺屋橋を渡り切って川添に東へ上《のぼ》って行くと、按摩《あんま》に三人あった。そうして犬がしきりに吠《ほ》えましたよ先生……」
「秋の夜長に川端で犬の遠吠をきくのはちょっと芝居がかりだね。君は落人《おちゅうど》と云う格だ」
「何かわるい事でもしたんですか」
「これからしようと云うところさ」
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