致す事にする。
 八っちゃんの泣き声を聞いた主人は、朝っぱらからよほど癇癪《かんしゃく》が起ったと見えて、たちまちがばと布団《ふとん》の上に起き直った。こうなると精神修養も八木独仙も何もあったものじゃない。起き直りながら両方の手でゴシゴシゴシと表皮のむけるほど、頭中引き掻《か》き廻す。一ヵ月も溜っているフケは遠慮なく、頸筋《くびすじ》やら、寝巻の襟《えり》へ飛んでくる。非常な壮観である。髯《ひげ》はどうだと見るとこれはまた驚ろくべく、ぴん然とおっ立っている。持主が怒《おこ》っているのに髯だけ落ちついていてはすまないとでも心得たものか、一本一本に癇癪《かんしゃく》を起して、勝手次第の方角へ猛烈なる勢をもって突進している。これとてもなかなかの見物《みもの》である。昨日《きのう》は鏡の手前もある事だから、おとなしく独乙《ドイツ》皇帝陛下の真似をして整列したのであるが、一晩寝れば訓練も何もあった者ではない、直ちに本来の面目に帰って思い思いの出《い》で立《たち》に戻るのである。あたかも主人の一夜作りの精神修養が、あくる日になると拭《ぬぐ》うがごとく奇麗に消え去って、生れついての野猪的《やちょてき》本領が直ちに全面を暴露し来《きた》るのと一般である。こんな乱暴な髯をもっている、こんな乱暴な男が、よくまあ今まで免職にもならずに教師が勤まったものだと思うと、始めて日本の広い事がわかる。広ければこそ金田君や金田君の犬が人間として通用しているのでもあろう。彼等が人間として通用する間は主人も免職になる理由がないと確信しているらしい。いざとなれば巣鴨へ端書《はがき》を飛ばして天道公平君に聞き合せて見れば、すぐ分る事だ。
 この時主人は、昨日《きのう》紹介した混沌《こんとん》たる太古の眼を精一杯に見張って、向うの戸棚をきっと見た。これは高さ一間を横に仕切って上下共|各《おのおの》二枚の袋戸をはめたものである。下の方の戸棚は、布団《ふとん》の裾《すそ》とすれすれの距離にあるから、起き直った主人が眼をあきさえすれば、天然自然ここに視線がむくように出来ている。見ると模様を置いた紙がところどころ破れて妙な腸《はらわた》があからさまに見える。腸にはいろいろなのがある。あるものは活版摺《かっぱんずり》で、あるものは肉筆である。あるものは裏返しで、あるものは逆さまである。主人はこの腸を見ると同時に、何がか
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