はなお気に食わん。ここにおいてか主人は今まで頭から被《かぶ》っていた夜着を一度に跳《は》ねのけた。見ると大きな眼を二つとも開《あ》いている。
「何だ騒々しい。起きると云えば起きるのだ」
「起きるとおっしゃってもお起きなさらんじゃありませんか」
「誰がいつ、そんな嘘《うそ》をついた」
「いつでもですわ」
「馬鹿を云え」
「どっちが馬鹿だか分りゃしない」と妻君ぷんとして箒を突いて枕元に立っているところは勇ましかった。この時裏の車屋の子供、八っちゃんが急に大きな声をしてワーと泣き出す。八っちゃんは主人が怒《おこ》り出しさえすれば必ず泣き出すべく、車屋のかみさんから命ぜられるのである。かみさんは主人が怒るたんびに八っちゃんを泣かして小遣《こづかい》になるかも知れんが、八っちゃんこそいい迷惑だ。こんな御袋《おふくろ》を持ったが最後朝から晩まで泣き通しに泣いていなくてはならない。少しはこの辺の事情を察して主人も少々怒るのを差し控《ひか》えてやったら、八っちゃんの寿命が少しは延びるだろうに、いくら金田君から頼まれたって、こんな愚《ぐ》な事をするのは、天道公平君よりもはげしくおいでになっている方だと鑑定してもよかろう。怒るたんびに泣かせられるだけなら、まだ余裕もあるけれども、金田君が近所のゴロツキを傭《やと》って今戸焼《いまどやき》をきめ込むたびに、八っちゃんは泣かねばならんのである。主人が怒るか怒らぬか、まだ判然しないうちから、必ず怒るべきものと予想して、早手廻しに八っちゃんは泣いているのである。こうなると主人が八っちゃんだか、八っちゃんが主人だか判然しなくなる。主人にあてつけるに手数《てすう》は掛らない、ちょっと八っちゃんに剣突《けんつく》を食わせれば何の苦もなく、主人の横《よこ》っ面《つら》を張った訳になる。昔《むか》し西洋で犯罪者を所刑にする時に、本人が国境外に逃亡して、捕《とら》えられん時は、偶像をつくって人間の代りに火《ひ》あぶり[#「あぶり」に傍点]にしたと云うが、彼等のうちにも西洋の故事に通暁《つうぎょう》する軍師があると見えて、うまい計略を授けたものである。落雲館と云い、八っちゃんの御袋と云い、腕のきかぬ主人にとっては定めし苦手《にがて》であろう。そのほか苦手はいろいろある。あるいは町内中ことごとく苦手かも知れんが、ただいまは関係がないから、だんだん成し崩しに紹介
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