に傍点]を担《かつ》いで書斎の方へ行ってしまった。やがてぱたぱた書斎中を叩《たた》き散らす音がするのは例によって例のごとき掃除を始めたのである。一体掃除の目的は運動のためか、遊戯のためか、掃除の役目を帯びぬ吾輩の関知するところでないから、知らん顔をしていれば差《さ》し支《つか》えないようなものの、ここの細君の掃除法のごときに至ってはすこぶる無意義のものと云わざるを得ない。何が無意義であるかと云うと、この細君は単に掃除のために掃除をしているからである。はたき[#「はたき」に傍点]を一通り障子《しょうじ》へかけて、箒を一応畳の上へ滑《すべ》らせる。それで掃除は完成した者と解釈している。掃除の源因及び結果に至っては微塵《みじん》の責任だに背負っておらん。かるが故に奇麗な所は毎日奇麗だが、ごみ[#「ごみ」に傍点]のある所、ほこり[#「ほこり」に傍点]の積っている所はいつでもごみ[#「ごみ」に傍点]が溜《たま》ってほこり[#「ほこり」に傍点]が積っている。告朔《こくさく》の※[#「食へん+氣」、第4水準2−92−67]羊《きよう》と云う故事《こじ》もある事だから、これでもやらんよりはましかも知れない。しかしやっても別段主人のためにはならない。ならないところを毎日毎日御苦労にもやるところが細君のえらいところである。細君と掃除とは多年の習慣で、器械的の連想をかたちづくって頑《がん》として結びつけられているにもかかわらず、掃除の実《じつ》に至っては、妻君がいまだ生れざる以前のごとく、はたき[#「はたき」に傍点]と箒が発明せられざる昔のごとく、毫《ごう》も挙《あが》っておらん。思うにこの両者の関係は形式論理学の命題における名辞のごとくその内容のいかんにかかわらず結合せられたものであろう。
 吾輩は主人と違って、元来が早起の方だから、この時すでに空腹になって参った。とうていうちのものさえ膳《ぜん》に向わぬさきから、猫の身分をもって朝めしに有りつける訳のものではないが、そこが猫の浅ましさで、もしや煙の立った汁の香《におい》が鮑貝《あわびがい》の中から、うまそうに立ち上っておりはすまいかと思うと、じっとしていられなくなった。はかない事を、はかないと知りながら頼みにするときは、ただその頼みだけを頭の中に描いて、動かずに落ちついている方が得策であるが、さてそうは行かぬ者で、心の願と実際が、合う
前へ 次へ
全375ページ中284ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング