C鼠を食《くら》えるものは親鸞《しんらん》の再来にして、河豚《ふぐ》を喫せるものは日蓮《にちれん》の分身なり。苦沙弥先生の如きに至っては只《ただ》干瓢《かんぴょう》の酢味噌《すみそ》を知るのみ。干瓢の酢味噌を食《くら》って天下の士たるものは、われ未《いま》だ之《これ》を見ず。……
親友も汝《なんじ》を売るべし。父母《ふぼ》も汝に私《わたくし》あるべし。愛人も汝を棄つべし。富貴《ふっき》は固《もと》より頼みがたかるべし。爵禄《しゃくろく》は一朝《いっちょう》にして失うべし。汝の頭中に秘蔵する学問には黴《かび》が生《は》えるべし。汝何を恃《たの》まんとするか。天地の裡《うち》に何をたのまんとするか。神? 神は人間の苦しまぎれに捏造《でつぞう》せる土偶《どぐう》のみ。人間のせつな糞《ぐそ》の凝結せる臭骸のみ。恃《たの》むまじきを恃んで安しと云う。咄々《とつとつ》、酔漢|漫《みだ》りに胡乱《うろん》の言辞を弄して、蹣跚《まんさん》として墓に向う。油尽きて灯《とう》自《おのずか》ら滅す。業尽きて何物をか遺《のこ》す。苦沙弥先生よろしく御茶でも上がれ。……
人を人と思わざれば畏《おそ》るる所なし。人を人と思わざるものが、吾を吾と思わざる世を憤《いきどお》るは如何《いかん》。権貴栄達の士は人を人と思わざるに於て得たるが如し。只《ただ》他《ひと》の吾を吾と思わぬ時に於て怫然《ふつぜん》として色を作《な》す。任意に色を作し来れ。馬鹿野郎。……
吾の人を人と思うとき、他《ひと》の吾を吾と思わぬ時、不平家は発作的《ほっさてき》に天降《あまくだ》る。此発作的活動を名づけて革命という。革命は不平家の所為にあらず。権貴栄達の士が好んで産する所なり。朝鮮に人参《にんじん》多し先生何が故に服せざる。
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[#地から2字上げ]在巣鴨 天道公平《てんどうこうへい》 再拝
針作君は九拝であったが、この男は単に再拝だけである。寄附金の依頼でないだけに七拝ほど横風《おうふう》に構えている。寄附金の依頼ではないがその代りすこぶる分りにくいものだ。どこの雑誌へ出しても没書になる価値は充分あるのだから、頭脳の不透明をもって鳴る主人は必ず寸断寸断《ずたずた》に引き裂いてしまうだろうと思《おもい》のほか、打ち返し打ち返し読み直している。こんな手紙に意味があると考えて、あくまでその意味を究《き
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