吾輩自身の境遇から想像して見て、ご困却の段実に御察し申す。吾輩は全体の状況において東郷閣下に似ているのみならず、この格段なる地位においてもまた東郷閣下とよく苦心を同じゅうする者である。
 吾輩がかく夢中になって智謀をめぐらしていると、突然破れた腰障子が開《あ》いて御三《おさん》の顔がぬうと出る。顔だけ出ると云うのは、手足がないと云う訳ではない。ほかの部分は夜目《よめ》でよく見えんのに、顔だけが著るしく強い色をして判然|眸底《ぼうてい》に落つるからである。御三はその平常より赤き頬をますます赤くして洗湯から帰ったついでに、昨夜《ゆうべ》に懲《こ》りてか、早くから勝手の戸締《とじまり》をする。書斎で主人が俺のステッキを枕元へ出しておけと云う声が聞える。何のために枕頭にステッキを飾るのか吾輩には分らなかった。まさか易水《えきすい》の壮士を気取って、竜鳴《りゅうめい》を聞こうと云う酔狂でもあるまい。きのうは山の芋、今日《きょう》はステッキ、明日《あす》は何になるだろう。
 夜はまだ浅い鼠はなかなか出そうにない。吾輩は大戦の前に一と休養を要する。
 主人の勝手には引窓がない。座敷なら欄間《らんま》と云うような所が幅一尺ほど切り抜かれて夏冬吹き通しに引窓の代理を勤めている。惜し気もなく散る彼岸桜《ひがんざくら》を誘うて、颯《さっ》と吹き込む風に驚ろいて眼を覚《さ》ますと、朧月《おぼろづき》さえいつの間《ま》に差してか、竈《へっつい》の影は斜めに揚板《あげいた》の上にかかる。寝過ごしはせぬかと二三度耳を振って家内の容子《ようす》を窺《うかが》うと、しんとして昨夜のごとく柱時計の音のみ聞える。もう鼠の出る時分だ。どこから出るだろう。
 戸棚の中でことことと音がしだす。小皿の縁《ふち》を足で抑えて、中をあらしているらしい。ここから出るわいと穴の横へすくんで待っている。なかなか出て来る景色《けしき》はない。皿の音はやがてやんだが今度はどんぶりか何かに掛ったらしい、重い音が時々ごとごととする。しかも戸を隔ててすぐ向う側でやっている、吾輩の鼻づらと距離にしたら三寸も離れておらん。時々はちょろちょろと穴の口まで足音が近寄るが、また遠のいて一匹も顔を出すものはない。戸一枚向うに現在敵が暴行を逞《たくま》しくしているのに、吾輩はじっと穴の出口で待っておらねばならん随分気の長い話だ。鼠は旅順椀《りょ
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