いたが、主人の頭の先に「朝日」の袋があるのを見付けて、ちょっと袂《たもと》へ投げ込む。またその袋の中から一本出してランプに翳《かざ》して火を点《つ》ける。旨《う》まそうに深く吸って吐き出した煙りが、乳色のホヤを繞《めぐ》ってまだ消えぬ間《ま》に、陰士の足音は椽側《えんがわ》を次第に遠のいて聞えなくなった。主人夫婦は依然として熟睡している。人間も存外|迂濶《うかつ》なものである。
 吾輩はまた暫時《ざんじ》の休養を要する。のべつに喋舌《しゃべ》っていては身体が続かない。ぐっと寝込んで眼が覚《さ》めた時は弥生《やよい》の空が朗らかに晴れ渡って勝手口に主人夫婦が巡査と対談をしている時であった。
「それでは、ここから這入《はい》って寝室の方へ廻ったんですな。あなた方は睡眠中で一向《いっこう》気がつかなかったのですな」
「ええ」と主人は少し極《きま》りがわるそうである。
「それで盗難に罹《かか》ったのは何時《なんじ》頃ですか」と巡査は無理な事を聞く。時間が分るくらいなら何《な》にも盗まれる必要はないのである。それに気が付かぬ主人夫婦はしきりにこの質問に対して相談をしている。
「何時頃かな」
「そうですね」と細君は考える。考えれば分ると思っているらしい。
「あなたは夕《ゆう》べ何時に御休みになったんですか」
「俺の寝たのは御前よりあとだ」
「ええ私《わたく》しの伏せったのは、あなたより前です」
「眼が覚めたのは何時だったかな」
「七時半でしたろう」
「すると盗賊の這入《はい》ったのは、何時頃になるかな」
「なんでも夜なかでしょう」
「夜中《よなか》は分りきっているが、何時頃かと云うんだ」
「たしかなところはよく考えて見ないと分りませんわ」と細君はまだ考えるつもりでいる。巡査はただ形式的に聞いたのであるから、いつ這入ったところが一向《いっこう》痛痒《つうよう》を感じないのである。嘘でも何でも、いい加減な事を答えてくれれば宜《よ》いと思っているのに主人夫婦が要領を得ない問答をしているものだから少々|焦《じ》れたくなったと見えて
「それじゃ盗難の時刻は不明なんですな」と云うと、主人は例のごとき調子で
「まあ、そうですな」と答える。巡査は笑いもせずに
「じゃあね、明治三十八年何月何日戸締りをして寝たところが盗賊が、どこそこの雨戸を外《はず》してどこそこに忍び込んで品物を何点盗んで行った
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