してやれって、さっき恬lが言い付けておいでなすったぜ」「そりゃ分っているよ」と神さんは悪口の三分の一を引き受けると云う意味を示す。なるほどこの手合が苦沙弥先生を冷やかしに来るなと三人の横を、そっと通り抜けて奥へ這入る。
猫の足はあれども無きがごとし、どこを歩いても不器用な音のした試しがない。空を踏むがごとく、雲を行くがごとく、水中に磬《けい》を打つがごとく、洞裏《とうり》に瑟《しつ》を鼓《こ》するがごとく、醍醐《だいご》の妙味を甞《な》めて言詮《ごんせん》のほかに冷暖《れいだん》を自知《じち》するがごとし。月並な西洋館もなく、模範勝手もなく、車屋の神さんも、権助《ごんすけ》も、飯焚も、御嬢さまも、仲働《なかばたら》きも、鼻子夫人も、夫人の旦那様もない。行きたいところへ行って聞きたい話を聞いて、舌を出し尻尾《しっぽ》を掉《ふ》って、髭《ひげ》をぴんと立てて悠々《ゆうゆう》と帰るのみである。ことに吾輩はこの道に掛けては日本一の堪能《かんのう》である。草双紙《くさぞうし》にある猫又《ねこまた》の血脈を受けておりはせぬかと自《みずか》ら疑うくらいである。蟇《がま》の額《ひたい》には夜光《やこう》の明珠《めいしゅ》があると云うが、吾輩の尻尾には神祇釈教《しんぎしゃっきょう》恋無常《こいむじょう》は無論の事、満天下の人間を馬鹿にする一家相伝《いっかそうでん》の妙薬が詰め込んである。金田家の廊下を人の知らぬ間《ま》に横行するくらいは、仁王様が心太《ところてん》を踏み潰《つぶ》すよりも容易である。この時吾輩は我ながら、わが力量に感服して、これも普段大事にする尻尾の御蔭だなと気が付いて見るとただ置かれない。吾輩の尊敬する尻尾大明神を礼拝《らいはい》してニャン運長久を祈らばやと、ちょっと低頭して見たが、どうも少し見当《けんとう》が違うようである。なるべく尻尾の方を見て三拝しなければならん。尻尾の方を見ようと身体を廻すと尻尾も自然と廻る。追付こうと思って首をねじると、尻尾も同じ間隔をとって、先へ馳《か》け出す。なるほど天地玄黄《てんちげんこう》を三寸|裏《り》に収めるほどの霊物だけあって、到底吾輩の手に合わない、尻尾を環《めぐ》る事|七度《ななた》び半にして草臥《くたび》れたからやめにした。少々眼がくらむ。どこにいるのだかちょっと方角が分らなくなる。構うものかと滅茶苦茶にあるき廻る。障
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