の名のつく時代でその時代時代の意識が纏《まとま》っております。日本人総体の集合意識は過去四五年前には日露戦争の意識だけになりきっておりました。その後日英同盟の意識で占領された時代もあります。かく推論の結果心理学者の解剖を拡張して集合の意識やまた長時間の意識の上に応用して考えてみますと、人間活力の発展の経路たる開化というものの動くラインもまた波動を描いて弧線を幾個《いくつ》も幾個も繋《つな》ぎ合せて進んで行くと云わなければなりません。無論描かれる波の数は無限無数で、その一波一波の長短も高低も千差万別でありましょうが、やはり甲の波が乙の波を呼出し、乙の波がまた丙《へい》の波を誘い出して順次に推移しなければならない。一言にして云えば開化の推移はどうしても内発的でなければ嘘《うそ》だと申上げたいのであります。ちょっとした話が私は今ここで演説をしている。するとそれを御聞きになるあなたがたの方から云えば初めの十分間くらいは私が何を主眼に云うかよく分らない、二十分目ぐらいになってようやく筋道がついて、三十分目くらいにはようやく油がのって少しはちょっと面白くなり、四十分目にはまたぼんやりし出し、五十分目には退屈を催し、一時間目には欠伸《あくび》が出る。とそう私の想像通り行くか行かないか分りませんが、もしそうだとするならば、私が無理にここで二時間も三時間もしゃべっては、あなた方の心理作用に反して我《が》を張ると同じ事でけっして成功はできない。なぜかと云えばこの講演がその場合あなた方の自然に逆《さから》った外発的のものになるからであります。いくら咽喉《のど》を絞《しぼ》り声を嗄《か》らして怒鳴《どな》ってみたってあなたがたはもう私の講演の要求の度を経過したのだからいけません。あなた方は講演よりも茶菓子が食いたくなったり酒が飲みたくなったり氷水が欲しくなったりする。その方が内発的なのだから自然の推移で無理のないところなのである。
 これだけ説明しておいて現代日本の開化に後戻をしたらたいてい大丈夫でしょう。日本の開化は自然の波動を描いて甲の波が乙の波を生み乙の波が丙の波を押し出すように内発的に進んでいるかと云うのが当面の問題なのですが残念ながらそう行っていないので困るのです。行っていないと云うのは、先程《さきほど》も申した通り活力節約活力消耗の二大方面においてちょうど複雑の程度二十を有しておったところへ、俄然《がぜん》外部の圧迫で三十代まで飛びつかなければならなくなったのですから、あたかも天狗《てんぐ》にさらわれた男のように無我夢中で飛びついて行くのです。その経路はほとんど自覚していないくらいのものです。元々開化が甲の波から乙の波へ移るのはすでに甲は飽《あ》いていたたまれないから内部欲求の必要上ずるりと新らしい一波を開展するので甲の波の好所も悪所も酸いも甘いも甞《な》め尽した上にようやく一生面を開いたと云って宜《よろ》しい。したがって従来経験し尽した甲の波には衣を脱いだ蛇《へび》と同様未練もなければ残り惜しい心持もしない。のみならず新たに移った乙の波に揉《も》まれながら毫《ごう》も借り着をして世間体を繕《つくろ》っているという感が起らない。ところが日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流でその波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新らしい波が寄せるたびに自分がその中で食客《いそうろう》をして気兼《きがね》をしているような気持になる。新らしい波はとにかく、今しがたようやくの思で脱却した旧《ふる》い波の特質やら真相やらも弁《わきま》えるひまのないうちにもう棄《す》てなければならなくなってしまった。食膳《しょくぜん》に向って皿の数を味い尽すどころか元来どんな御馳走《ごちそう》が出たかハッキリと眼に映じない前にもう膳を引いて新らしいのを並べられたと同じ事であります。こういう開化の影響を受ける国民はどこかに空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念を懐《いだ》かなければなりません。それをあたかもこの開化が内発的ででもあるかのごとき顔をして得意でいる人のあるのは宜しくない。それはよほどハイカラです、宜しくない。虚偽でもある。軽薄でもある。自分はまだ煙草《たばこ》を喫《す》っても碌《ろく》に味さえ分らない子供の癖に、煙草を喫ってさも旨《うま》そうな風をしたら生意気でしょう。それをあえてしなければ立ち行かない日本人はずいぶん悲酸《ひさん》な国民と云わなければならない。開化の名は下せないかも知れないが、西洋人と日本人の社交を見てもちょっと気がつくでしょう。西洋人と交際をする以上、日本本位ではどうしても旨く行きません。交際しなくともよいと云えばそれまでであるが、情けないかな交際しなければいられないのが日本の現状でありましょう。しかして強いものと交際すれば、どうしても己を棄てて先方の習慣に従わなければならなくなる。我々があの人は肉刺《フォーク》の持ちようも知らないとか、小刀《ナイフ》の持ちようも心得ないとか何とか云って、他を批評して得意なのは、つまりは何でもない、ただ西洋人が我々より強いからである。我々の方が強ければあっちこっちの真似《まね》をさせて主客の位地《いち》を易《か》えるのは容易の事である。がそう行かないからこっちで先方の真似をする。しかも自然天然に発展してきた風俗を急に変える訳にいかぬから、ただ器械的に西洋の礼式などを覚えるよりほかに仕方がない。自然と内に醗酵《はっこう》して醸《かも》された礼式でないから取ってつけたようではなはだ見苦しい。これは開化じゃない、開化の一端とも云えないほどの些細《ささい》な事であるが、そういう些細な事に至るまで、我々のやっている事は内発的でない、外発的である。これを一言にして云えば現代日本の開化は皮相|上滑《うわすべ》りの開化であると云う事に帰着するのである。無論一から十まで何から何までとは言わない。複雑な問題に対してそう過激の言葉は慎《つつし》まなければ悪いが我々の開化の一部分、あるいは大部分はいくら己惚《うぬぼ》れてみても上滑《うわすべ》りと評するより致し方がない。しかしそれが悪いからお止《よ》しなさいと云うのではない。事実やむをえない、涙を呑《の》んで上滑りに滑って行かなければならないと云うのです。
 それでは子供が背《せな》に負われて大人といっしょに歩くような真似をやめて、じみちに発展の順序を尽して進む事はどうしてもできまいかという相談が出るかも知れない。そういう御相談が出れば私も無い事もないと御答をする。が西洋で百年かかってようやく今日に発展した開化を日本人が十年に年期をつづめて、しかも空虚の譏《そしり》を免《まぬ》かれるように、誰が見ても内発的であると認めるような推移をやろうとすればこれまた由々しき結果に陥《おちい》るのであります。百年の経験を十年で上滑《うわすべ》りもせずやりとげようとするならば年限が十分一に縮《ちぢ》まるだけわが活力は十倍に増さなければならんのは算術の初歩を心得たものさえ容易《たやす》く首肯するところである。これは学問を例に御話をするのが一番早分りである。西洋の新らしい説などを生噛《なまかじ》りにして法螺《ほら》を吹くのは論外として、本当に自分が研究を積んで甲の説から乙の説に移りまた乙から丙に進んで、毫《ごう》も流行を追うの陋態《ろうたい》なく、またことさらに新奇を衒《てら》うの虚栄心なく、全く自然の順序階級を内発的に経て、しかも彼ら西洋人が百年もかかってようやく到着し得た分化の極端に、我々が維新後四五十年の教育の力で達したと仮定する。体力脳力共に吾らよりも旺盛《おうせい》な西洋人が百年の歳月を費したものを、いかに先駆の困難を勘定《かんじょう》に入れないにしたところでわずかその半《なかば》に足らぬ歳月で明々地に通過し了《おわ》るとしたならば吾人はこの驚くべき知識の収穫を誇り得ると同時に、一敗また起《た》つ能《あた》わざるの神経衰弱に罹《かか》って、気息奄々《きそくえんえん》として今や路傍に呻吟《しんぎん》しつつあるは必然の結果としてまさに起るべき現象でありましょう。現に少し落ちついて考えてみると、大学の教授を十年間一生懸命にやったら、たいていの者は神経衰弱に罹《かか》りがちじゃないでしょうか。ピンピンしているのは、皆|嘘《うそ》の学者だと申しては語弊があるが、まあどちらかと云えば神経衰弱に罹る方が当り前のように思われます。学者を例に引いたのは単に分りやすいためで、理窟《りくつ》は開化のどの方面へも応用ができるつもりです。
 すでに開化と云うものがいかに進歩しても、案外その開化の賜《たまもの》として吾々の受くる安心の度は微弱なもので、競争その他からいらいらしなければならない心配を勘定《かんじょう》に入れると、吾人の幸福は野蛮時代とそう変りはなさそうである事は前《ぜん》御話しした通りである上に、今言った現代日本が置かれたる特殊の状況に因《よ》って吾々の開化が機械的に変化を余儀なくされるためにただ上皮《うわかわ》を滑って行き、また滑るまいと思って踏張《ふんば》るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐《あわ》れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。私の結論はそれだけに過ぎない。ああなさいとか、こうしなければならぬとか云うのではない。どうすることもできない、実に困ったと嘆息するだけで極めて悲観的の結論であります。こんな結論にはかえって到着しない方が幸であったのでしょう。真と云うものは、知らないうちは知りたいけれども、知ってからはかえってアア知らない方がよかったと思う事が時々あります。モーパサンの小説に、或男が内縁の妻に厭気《いやき》がさしたところから、置手紙か何かして、妻を置き去りにしたまま友人の家へ行って隠れていたという話があります。すると女の方では大変怒ってとうとう男の所在《ありか》を捜し当てて怒鳴《どな》り込《こ》みましたので男は手切金を出して手を切る談判を始めると、女はその金を床《ゆか》の上に叩《たた》きつけて、こんなものが欲しいので来たのではない、もし本当にあなたが私を捨てる気ならば私は死んでしまう、そこにある(三階か四階の)窓から飛下りて死んでしまうと言った。男は平気な顔を装ってどうぞと云わぬばかりに女を窓の方へ誘う所作《しょさ》をした。すると女はいきなり馳《か》けて行って窓から飛下りた。死にはしなかったが生れもつかぬ不具になってしまいました。男もこれほど女の赤心が眼の前へ証拠立てられる以上、普通の軽薄な売女同様の観をなして、女の貞節を今まで疑っていたのを後悔したものと見えて、再びもとの夫婦に立ち帰って、病妻の看護に身を委《ゆだ》ねたというのがモーパサンの小説の筋ですが、男の疑も好い加減な程度で留めておけばこれほどの大事には至らなかったかも知れないが、そうすれば彼の懐疑は一生徹底的に解ける日は来なかったでしょう。またここまで押してみれば女の真心《まごころ》が明かになるにはなるが、取返しのつかない残酷な結果に陥った後から回顧して見れば、やはり真実|懸価《かけね》のない実相は分らなくても好いから、女を片輪にさせずにおきたかったでありましょう。日本の現代開化の真相もこの話と同様で、分らないうちこそ研究もして見たいが、こう露骨にその性質が分って見るとかえって分らない昔の方が幸福であるという気にもなります。とにかく私の解剖した事が本当のところだとすれば我々は日本の将来というものについてどうしても悲観したくなるのであります。外国人に対して乃公《おれ》の国には富士山があるというような馬鹿は今日はあまり云わないようだが、戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすればできるものだと思います。ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前《ぜん》申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に罹《かか》らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよ
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