ますね」と御母《おっか》さんが云う。
「全体どうしたんです」と小野さんは煙《けむ》に巻かれながら聞く。御母さんはホホホと笑う。
「上げましょうか」と藤尾は流し目に聞いた。小野さんは黙っている。
「じゃ、まあ、止《よ》しましょう」と藤尾は再び立って小野さんの胸から金時計を外《はず》してしまった。

        三

 柳《やなぎ》※[#「享+單」、第4水準2−4−50]《た》れて条々《じょうじょう》の煙を欄《らん》に吹き込むほどの雨の日である。衣桁《いこう》に懸《か》けた紺《こん》の背広の暗く下がるしたに、黒い靴足袋《くつたび》が三分一《さんぶいち》裏返しに丸く蹲踞《うずくま》っている。違棚《ちがいだな》の狭《せま》い上に、偉大な頭陀袋《ずだぶくろ》を据《す》えて、締括《しめくく》りのない紐《ひも》をだらだらと嬾《ものうく》も垂らした傍《かたわ》らに、錬歯粉《ねりはみがき》と白楊子《しろようじ》が御早うと挨拶《あいさつ》している。立て切った障子《しょうじ》の硝子《ガラス》を通して白い雨の糸が細長く光る。
「京都という所は、いやに寒い所だな」と宗近《むねちか》君は貸浴衣《かしゆかた》の
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