《さか》に立てたのは二枚折の銀屏《ぎんびょう》である。一面に冴《さ》え返る月の色の方《ほう》六尺のなかに、会釈《えしゃく》もなく緑青《ろくしょう》を使って、柔婉《なよやか》なる茎を乱るるばかりに描《か》いた。不規則にぎざぎざを畳む鋸葉《のこぎりは》を描いた。緑青の尽きる茎の頭には、薄い弁《はなびら》を掌《てのひら》ほどの大《おおき》さに描いた。茎を弾《はじ》けば、ひらひらと落つるばかりに軽く描いた。吉野紙を縮まして幾重の襞《ひだ》を、絞《しぼ》りに畳み込んだように描いた。色は赤に描いた。紫に描いた。すべてが銀《しろかね》の中から生《は》える。銀の中に咲く。落つるも銀の中と思わせるほどに描いた。――花は虞美人草《ぐびじんそう》である。落款《らっかん》は抱一《ほういつ》である。
 屏風《びょうぶ》の陰に用い慣れた寄木《よせき》の小机を置く。高岡塗《たかおかぬり》の蒔絵《まきえ》の硯筥《すずりばこ》は書物と共に違棚《ちがいだな》に移した。机の上には油を注《さ》した瓦器《かわらけ》を供えて、昼ながらの灯火《ともしび》を一本の灯心《とうしん》に点《つ》ける。灯心は新らしい。瓦器の丈《たけ》を余りて、三寸を尾に引く先は、油さえ含まず白くすらりと延びている。
 ほかには白磁《はくじ》の香炉《こうろ》がある。線香の袋が蒼《あお》ざめた赤い色を机の角《かど》に出している。灰の中に立てた五六本は、一点の紅《くれない》から煙となって消えて行く。香《におい》は仏に似ている。色は流るる藍《あい》である。根本《ねもと》から濃く立ち騰《のぼ》るうちに右に揺《うご》き左へ揺く。揺くたびに幅が広くなる。幅が広くなるうちに色が薄くなる。薄くなる帯のなかに濃い筋がゆるやかに流れて、しまいには広い幅も、帯も、濃い筋も行方《ゆきがた》知れずになる。時に燃え尽した灰がぱたりと、棒のまま倒れる。
 違棚の高岡塗は沈んだ小豆色《あずきいろ》に古木《こぼく》の幹を青く盛り上げて、寒紅梅《かんこうばい》の数点を螺鈿擬《らでんまがい》に錬《ね》り出した。裏は黒地に鶯《うぐいす》が一羽飛んでいる。並ぶ蘆雁《ろがん》の高蒔絵の中には昨日《きのう》まで、深き光を暗き底に放つ柘榴珠が収めてあった。両蓋に隙間《すきま》なく七子を盛る金側時計が収めてあった。高蒔絵の上には一巻の書物が載《の》せてある。四隅《よすみ》を金《きん》に立ち切った箔《はく》の小口だけが鮮《あざや》かに見える。間から紫の栞《しおり》の房が長く垂れている。栞を差し込んだ頁《ページ》の上から七行目に「埃及《エジプト》の御代《みよ》しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそ」の一句がある。色鉛筆で細い筋を入れてある。
 すべてが美くしい。美くしいもののなかに横《よこた》わる人の顔も美くしい。驕《おご》る眼は長《とこしな》えに閉じた。驕る眼を眠《ねむ》った藤尾の眉《まゆ》は、額は、黒髪は、天女《てんにょ》のごとく美くしい。
「御線香が切れやしないかしら」と母は次《つぎ》の間《ま》から立ちかかる。
「今上げて来ました」と欽吾が云う。膝《ひざ》を正しく組み合わして、手を拱《こまぬ》いている。
「一《はじめ》さんも上げてやって下さい」
「私《わたし》も今上げて来た」
 線香の香《におい》は藤尾の部屋から、思い出したように吹いてくる。燃え切った灰は、棒のままで、はたりはたりと香炉の中に倒れつつある。銀屏《ぎんびょう》は知らぬ間《ま》に薫《くゆ》る。
「小野さんは、まだ来ないんですか」と母が云う。
「もう来るでしょう。今呼びにやりました」と欽吾が云う。
 部屋はわざと立て切った。隔《へだて》の襖《ふすま》だけは明けてある。片輪車の友禅《ゆうぜん》の裾《すそ》だけが見える。あとは芭蕉布《ばしょうふ》の唐紙《からかみ》で万事を隠す。幽冥《ゆうめい》を仕切る縁《ふち》は黒である。一寸幅に鴨居《かもい》から敷居《しきい》まで真直《まっすぐ》に貫いている。母は襖《ふすま》のこちらに坐りながら、折々は、見えぬ所を覗《のぞ》き込むように、首を傾けて背を反《そ》らす。冷かな足よりも冷かな顔の方が気にかかる。覗くたびに黒い縁は、すっきりと友禅の小夜着《こよぎ》を斜《はす》に断ち切っている。写せばそのままの模様画になる。
「御叔母《おば》さん、飛んだ事になって、御気の毒だが、仕方がない。御諦《おあきらめ》なさい」
「こんな事になろうとは……」
「泣いたって、今更《いまさら》しようがない。因果《いんが》だ」
「本当に残念な事をしました」と眼を拭う。
「あんまり泣くとかえって供養《くよう》にならない。それより後《あと》の始末が大事ですよ。こうなっちゃ、是非甲野さんにいてもらうより仕方がないんだから、その気になってやらないと、あなたが困るばかりだ」
 母はわっと泣き出
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