った。欽吾は両手を額に掛ける。
「出るって、御前本当に出る気なのかい」
「出る気です」
 欽吾は後《うし》ろ向《むき》に答えた。
「いつ」
「これから、出るんです」
 欽吾は両手で一度上へ揺り上げた額を、折釘《おれくぎ》から外して、下へさげた。細い糸一本で額は壁とつながっている。手を放すと、糸が切れて落ちそうだ。両手で恭《うやうや》しく捧げたままである。母は下から云う。
「こんな雨の降るのに」
「雨が降っても構わないです」
「せめて藤尾に暇乞《いとまごい》でもして行ってやっておくれな」
「藤尾はいないでしょう」
「だから待っておくれと云うのだあね。藪《やぶ》から棒《ぼう》に出るなんて、御母《おっか》さんを困らせるようなもんじゃないか」
「困らせるつもりじゃありません」
「御前がその気でなくっても、世間と云うものがあります。出るなら出るようにして出てくれないと、御母さんが恥を掻《か》きます」
「世間が……」と云いかけて額を持ちながら、首だけ後《うしろ》へ向けた時、細長く切れた欽吾の眼は一度《ひとたび》は母に落ちた。やがて母から遠退《とおの》いて戸口に至ってはたと動かなくなった。――母は気味悪そうに振返る。
「おや」
 天から降ったように、静かに立っていた糸子は、ゆるやかに頭《つむり》を下げた。鷹揚《おうよう》に膨《ふくら》ました廂髪《ひさしがみ》が故《もと》に帰ると、糸子は机の傍《そば》まで歩を移して来る。白足袋が両方|揃《そろ》った時、
「御迎《おむかえ》に参りました」と真直《まっすぐ》に欽吾を見上げた。
「鋏《はさみ》を取って下さい」と欽吾は上から頼む。顎《あご》で差図をした、レオパルジの傍に、鋏がある。――ぷつりと云う音と共に額は壁を離れた。鋏はかちゃりと床《ゆか》の上に落ちた。両手に額を捧げた欽吾は、机の上でくるりと正面に向き直った。
「兄が欽吾さんを連れて来いと申しましたから参りました」
 欽吾は捧げた額を眼八分《めはちぶん》から、そろりそろりと下の方へ移す。
「受取って下さい」
 糸子は確《しか》と受取った。欽吾は机から飛び下りる。
「行きましょう。――車で来たんですか」
「ええ」
「この額が乗りますか」
「乗ります」
「じゃあ」と再び額を受取って、戸口の方へ行く。糸子も行く。母は呼びとめた。
「少し御待ちよ。――糸子さんも少し待ってちょうだい。何が気に入
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