ある。それも丹念に塗りたくって、根気任せに錬《ね》り上げた眼玉ではない。一刷毛《ひとはけ》に輪廓を描《えが》いて、眉と睫《まつげ》の間に自然の影が出来る。下瞼《したまぶた》の垂味《たるみ》が見える。取る年が集って目尻を引張る波足が浮く。その中に瞳《ひとみ》が活《い》きている。動かないでしかも活きている刹那《さつな》の表情を、そのまま画布に落した手腕は、会心の機を早速《さそく》に捕えた非凡の技《ぎ》と云わねばならぬ。甲野さんはこの眼を見るたびに活きてるなと思う。
 想界に一瀾《いちらん》を点ずれば、千瀾追うて至る。瀾々《らんらん》相擁《あいよう》して思索の郷《くに》に、吾を忘るるとき、懊悩《おうのう》の頭《こうべ》を上げて、この眼にはたりと逢《あ》えば、あっ、在《あ》ったなと思う。ある時はおやいたかと驚ろく事さえある。――甲野さんがレオパルジから眼を放して、万事を椅子の背に託した時は、常よりも烈《はげ》しくおやいたなと驚ろいた。
 思出《おもいで》の種に、亡《な》き人を忍ぶ片身《かたみ》とは、思い出す便《たより》を与えながら、亡き人を故《もと》に返さぬ無惨《むざん》なものである。肌に離さぬ数糸の髪を、懐《いだ》いては、泣いては、月日はただ先へと廻《めぐ》るのみの浮世である。片身は焼くに限る。父が死んでからの甲野さんは、何となくこの画を見るのが厭《いや》になった。離れても別状がないと落つきの根城を据《す》えて、咫尺《しせき》に慈顔《じがん》を髣髴《ほうふつ》するは、離れたる親を、記憶の紙に炙《あぶ》り出すのみか、逢《あ》える日を春に待てとの占《うら》にもなる。が、逢おうと思った本人はもう死んでしまった。活きているものはただ眼玉だけである。それすら活きているのみで毫《ごう》も動かない。――甲野さんは茫然《ぼうぜん》として、眼玉を眺《なが》めながら考えている。
 親父も気の毒な事をした。もう少し生きれば生きられる年だのに。髭《ひげ》もまるで白くはない。血色もみずみずしている。死ぬ気は無論なかったろう。気の毒な事をした。どうせ死ぬなら、日本へ帰ってから死んでくれれば好いのに。言い置いて行きたい事も定めてあったろう。聞きたい事、話したい事もたくさんあった。惜しい事をした。好い年をして三遍も四遍も外国へやられて、しかも任地で急病に罹《かか》って頓死《とんし》してしまった。……
 
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