は昔の事である。
「時に小夜の事だがね」と先生は洋灯《ランプ》の灯《ひ》を見ながら云う。五分心《ごぶじん》を蒲鉾形《かまぼこなり》に点《とも》る火屋《ほや》のなかは、壺《つぼ》に充《みつ》る油を、物言わず吸い上げて、穏かな※[#「陷のつくり+炎」、第3水準1−87−64]《ほのお》の舌が、暮れたばかりの春を、動かず守る。人|佗《わび》て淋《さみ》しき宵《よい》を、ただ一点の明《あか》きに償《つぐの》う。燈灯《ともしび》は希望《のぞみ》の影を招く。
「時に小夜の事だがね。知っての通りああ云う内気な性質《たち》ではあるし、今の女学生のようにハイカラな教育もないからとうてい気にもいるまいが、……」まで来て先生は洋灯から眼を放した。眼は小野さんの方に向う。何とか取り合わなければならない。
「いいえ――どうして――」と受けて、ちょっと句を切って見せたが、先生は依然として、こっちの顔から眸《ひとみ》を動かさない。その上口を開《き》かずに何だか待っている。
「気にいらんなんて――そんな事が――あるはずがないですが」とぽつぽつに答える。ようやくに納得《なっとく》した先生は先へ進む。
「あれも不憫《ふびん》だからね」
 小野さんは、そうだとも、そうでないとも云わなかった。手は膝《ひざ》の上にある。眼は手の上にある。
「私《わたし》がこうして、どうかこうかしているうちは好い。好いがこの通りの身体だから、いつ何時《なんどき》どんな事がないとも限らない。その時が困る。兼《かね》ての約束はあるし、御前も約束を反故《ほご》にするような軽薄な男ではないから、小夜の事は私がいない後《あと》でも世話はしてくれるだろうが……」
「そりゃ勿論《もちろん》です」と云わなければならない。
「そこは私も安心している。しかし女は気の狭いものでね。アハハハハ困るよ」
 何だか無理に笑ったように聞える。先生の顔は笑ったためにいよいよ淋《さみ》しくなった。
「そんなに御心配なさる事も要《い》らんでしょう」と覚束《おぼつか》なく云う。言葉の腰がふらふらしている。
「私はいいが、小夜がさ」
 小野さんは右の手で洋服の膝を摩《こす》り始めた。しばらくは二人とも無言である。心なき灯火《ともしび》が双方を半分《はんぶ》ずつ照らす。
「御前の方にもいろいろな都合はあるだろう。しかし都合はいくら立ったって片づくものじゃない」
「そ
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