しかし何だか引っ掛っている。浅かれ深かれ宗近君と孤堂《こどう》先生との関係をぷすりと切って棄てたい。しかし自然が結んだものは、いくら能才でも天才でも、どうする訳にも行かない。京の宿屋は何百軒とあるに、何で蔦屋《つたや》へ泊り込んだものだろうと思う。泊らんでも済むだろうにと思う。わざわざ三条へ梶棒《かじぼう》を卸《おろ》して、わざわざ蔦屋へ泊るのはいらざる事だと思う。酔興《すいきょう》だと思う。余計な悪戯《いたずら》だと思う。先方に益《えき》もないのに好んで人を苦しめる泊り方だと思う。しかしいくら、どう思っても仕方がないと思う。小野さんは返事をする元気も出なかった。
「あの令嬢がね。小野さん」
「ええ」
「あの令嬢がねじゃいけない。あの令嬢をだ。――見たよ」
「宿の二階からですか」
「二階からも見た」
 も[#「も」に傍点]の字が少し気になる。春雨の欄に出て、連翹《れんぎょう》の花もろともに古い庭を見下《みくだ》された事は、とくの昔に知っている。今更|引合《ひきあい》に出されても驚ろきはしない。しかし二階からも[#「も」に傍点]となると剣呑《けんのん》だ。そのほかにまだ見られた事があるにきまっている。不断なら進んで聞くところだが、何となく空景気《からけいき》を着けるような心持がして、どこで[#「どこで」に傍点]と押を強く出損《でそく》なったまま、二三歩あるく。
「嵐山《らんざん》へ行くところも見た」
「見ただけですか」
「知らない人に話は出来ない。見ただけさ」
「話して見れば好かったのに」
 小野さんは突然|冗談《じょうだん》を云う。にわかに景気が好くなった。
「団子を食っているところも見た」
「どこで」
「やっぱり嵐山《らんざん》だ」
「それっ切りですか」
「まだ有る。京都から東京までいっしょに来た」
「なるほど勘定して見ると同じ汽車でしたね」
「君が停車場《ステーション》へ迎えに行ったところも見た」
「そうでしたか」と小野さんは苦笑した。
「あの人は東京ものだそうだね」
「誰が……」と云い掛けて、小野さんは、眼鏡の珠《たま》のはずれから、変に相手の横顔を覗《のぞ》き込んだ。
「誰が? 誰がとは」
「誰が話したんです」
 小野さんの調子は存外落ついている。
「宿屋の下女が話した」
「宿屋の下女が? 蔦屋《つたや》の?」
 念を押したような、後《あと》が聞きたいような
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